ドキドキ条約
2001年10月12日 ウエダ君はどうやら困っているらしい。ザマーミロ。
というあんまりな書き出しだが、別にあたしは彼のことが嫌いなワケじゃない。スキなのかと聞かれても困るが、結婚は出来ないし、ウエダ君は結婚してるし、彼の奥様は自分勝手だし。
なんだか、チョットだけ同情してしまう境遇に見えるウエダ君も、しかし奥様よりも自分勝手だ。しかもあたしに対して。社会的に善人ぶってるのにあたしには勝手に振る舞う彼なのだからこれほど迷惑なことは無い。それ故ザマーミロなのだ。
あたしはいつもそう思っている。
しかし、先日の彼はチョットだけカワイソウだった。
何しろ、彼の奥様であるところのウエダ(妻)をドキドキさせるために、必死でがんばらなければならなくなったのだから。
どうやら夫婦間の協議でそんなコトが決まったらしい。
自分勝手なウエダ(妻)が「あたしをドキドキさせて!」と言ったらしいのだ。アンパンマンで言うところのドキンちゃんみたいな彼女だが、ウエダ君はバイキンマンではない。どんなにアンパンマンにぶん殴られても立ち上がってくる程のタフネスを備えた彼ではないのだから。
だから、ウエダ君は困っているのだ。
そして、そんな困ってるウエダ君は仕事帰りにうちに寄っては、なんとも困り果てた顔でアンパンマンを見ながらそんな話をしている。
テレビの中ではいつものごとくドキンちゃんがワガママ三昧でその煽りを喰ったバイキンマンがアンパンマンにぶん殴られている。しかもバイキンマンがどんなに尽くしてもドキンちゃんは食パンマン様に夢中なのでバイキンマンは報われない。そんな切ない関係をオトコ二人、ため息なんて吐きながら見ているのだ。
「俺の方がマシかもな」
ウエダ君が呟く。
「そうだなー。お前はバイキンマンでも食パンマンだからなー」
あたしが答える。
「アーンパーンチッ!」
アンパンマンが叫ぶ。
「バイバイキーン」
バイキンマンの心の叫びだ。
そして、プー。
ウエダ君の放屁だ。
狭い部屋でオトコ二人。まだ電源を入れていないコタツに入ってアンパンマンを見ながら屁をする。
アンパンマンが殴ればウエダ君が屁をする。
バイキンマンが叫べばウエダ君が屁をする。
ブープービー。
きっと腹の調子でも悪いのだろうが、さすがにビーはマズイ。実が出たかもしれないし、部屋がメタンガスで溢れて窒息するのは御免被るのである。それにさっきからお構いなしに屁をするウエダ君も気になる。
「遠慮とかしろよ」
ぼそりと言ってみたのだが、
「お前まで俺の放屁権を取り上げるのか?」
ウエダ君はそう呟いたきり黙ってしまった。
テレビの中ではバイキンマンがぶん殴られドキンちゃんはワガママ放題だ。
この世に放屁権なんて権利があるのかなんて知らないし、二人の間になにがあったのかも知らない。ただドキンちゃんとの間で「ドキドキ条約」を締結したバイキンマンはこうしてうちで放屁をしているのだ。
アンパンマンを見ているときも見終わったあとも条約の内容について詳しい話は一切なかった。聞くこともしなかったし話すこともなかったが、しかし。
あたしの部屋を出ていくウエダ君の顔を見たとき、
ザマーミロ。
なんて言えるワケがない。あたしはそう思ったのだ。
というあんまりな書き出しだが、別にあたしは彼のことが嫌いなワケじゃない。スキなのかと聞かれても困るが、結婚は出来ないし、ウエダ君は結婚してるし、彼の奥様は自分勝手だし。
なんだか、チョットだけ同情してしまう境遇に見えるウエダ君も、しかし奥様よりも自分勝手だ。しかもあたしに対して。社会的に善人ぶってるのにあたしには勝手に振る舞う彼なのだからこれほど迷惑なことは無い。それ故ザマーミロなのだ。
あたしはいつもそう思っている。
しかし、先日の彼はチョットだけカワイソウだった。
何しろ、彼の奥様であるところのウエダ(妻)をドキドキさせるために、必死でがんばらなければならなくなったのだから。
どうやら夫婦間の協議でそんなコトが決まったらしい。
自分勝手なウエダ(妻)が「あたしをドキドキさせて!」と言ったらしいのだ。アンパンマンで言うところのドキンちゃんみたいな彼女だが、ウエダ君はバイキンマンではない。どんなにアンパンマンにぶん殴られても立ち上がってくる程のタフネスを備えた彼ではないのだから。
だから、ウエダ君は困っているのだ。
そして、そんな困ってるウエダ君は仕事帰りにうちに寄っては、なんとも困り果てた顔でアンパンマンを見ながらそんな話をしている。
テレビの中ではいつものごとくドキンちゃんがワガママ三昧でその煽りを喰ったバイキンマンがアンパンマンにぶん殴られている。しかもバイキンマンがどんなに尽くしてもドキンちゃんは食パンマン様に夢中なのでバイキンマンは報われない。そんな切ない関係をオトコ二人、ため息なんて吐きながら見ているのだ。
「俺の方がマシかもな」
ウエダ君が呟く。
「そうだなー。お前はバイキンマンでも食パンマンだからなー」
あたしが答える。
「アーンパーンチッ!」
アンパンマンが叫ぶ。
「バイバイキーン」
バイキンマンの心の叫びだ。
そして、プー。
ウエダ君の放屁だ。
狭い部屋でオトコ二人。まだ電源を入れていないコタツに入ってアンパンマンを見ながら屁をする。
アンパンマンが殴ればウエダ君が屁をする。
バイキンマンが叫べばウエダ君が屁をする。
ブープービー。
きっと腹の調子でも悪いのだろうが、さすがにビーはマズイ。実が出たかもしれないし、部屋がメタンガスで溢れて窒息するのは御免被るのである。それにさっきからお構いなしに屁をするウエダ君も気になる。
「遠慮とかしろよ」
ぼそりと言ってみたのだが、
「お前まで俺の放屁権を取り上げるのか?」
ウエダ君はそう呟いたきり黙ってしまった。
テレビの中ではバイキンマンがぶん殴られドキンちゃんはワガママ放題だ。
この世に放屁権なんて権利があるのかなんて知らないし、二人の間になにがあったのかも知らない。ただドキンちゃんとの間で「ドキドキ条約」を締結したバイキンマンはこうしてうちで放屁をしているのだ。
アンパンマンを見ているときも見終わったあとも条約の内容について詳しい話は一切なかった。聞くこともしなかったし話すこともなかったが、しかし。
あたしの部屋を出ていくウエダ君の顔を見たとき、
ザマーミロ。
なんて言えるワケがない。あたしはそう思ったのだ。
明るい未来
2001年10月6日 自分があとどれくらい生きるのかということを考えたみた。
今まで生きてきたわずか25年の人生を振り返りながら、これから先いくつまでどんな人生を送るかということを想像してみた。
明日車に轢かれて死ぬかもしれないのに。
5分後隕石に当たって死ぬかもしれないのに。
しかし、想像の中の自分はしっかりと年を重ね、安穏とした余生を暮らしていた。
現状に不安を抱えていても、貯金の残高が気になっても、想像の中の自分はしっかりと年老いそれなりに生きているのだ。何しろ想像の未来には世知辛いしがらみなど絡ませたくない。そこでは自分の希望のみの望むべき未来ができあがっているのだから、あたしはなんと幸せなヤツだろうと思ってしまう。
しかし、こんな楽天的なあたしといえど、やはり未来は不安なのだ。安穏とした未来を想像しても、眼前に転がる通帳の残高は増えない。公共料金の請求書も減らないし、給料やら原稿料もいきなり増えたりしないのだ。
そして、終いには友人フクスケに飯を奢ってもらいながら、そんな話までしてしまう。
特に深夜のファミレスなんてうってつけの場所だ。そんな話題で悩んでみたり、社会に警鐘を鳴らしてみたり、むやみに不安になったりと若い二人は忙しいのだ。そして、先日もついついそんな話題を下ネタなどを織り交ぜつつ交わしていたわけだが、その時のフクスケは普段の彼とどこか違っていた。
何しろ将来に対する不安などまるで感じさせない、オトコらしさが漂っていたのだ。しかもよくよく聞いてみれば、
「人生設計はカンペキだ」
なんて言うではないか。
あたしユメでも見ているのではないかと思った。もしくは彼がユメの中なのではないかと疑った。しかし、彼の人生設計の実際を聞いてあたしは二度驚くことになる。何とも理にかなったその計画性に脱帽することになるのだ。
その一度目は、彼の家族に対する思いやりである。彼は自分の家族やこれから家族になるもののためにマンション、もしくは家を建てようと考えていたのだ。現在アパート住まいのあたしの将来は、なんだかぼんやりした、どこともしれぬ縁側だが、彼の将来は自分で建てた家、もしくはマンションで値段やらなにやらまでほぼカンペキに算出されていた。つまり、彼はこの先自分にとっていかほどの金が必要かと言うことをよく理解していると言うことになる。
すばらしいことではないか!
これから自分が使うであろう必要経費の算出は人生設計にとって必要不可欠なものである。あたしとたいして年の離れていない彼がこれを理解しているというのはものすごい衝撃である。
しかし、次の衝撃はさらにすごかった。
なにしろ彼はこともなげに言い放ったのだから。
「あとは宝くじ当てるだけだ」
なんてコトだろう!
当初冗談かとも思ったが、あたしを見る凛とした彼の瞳にウソはなかった。発言は決して冗談ではなく、彼の人生にはしかと「宝くじを当てる」というイベントが書き込まれているのだ。いや、イベントと呼ぶのが申し訳ないくらい「確定した事実」としてである。
ギャンブルで身を滅ぼすというのは、あまりにもありきたりだが、彼にとって宝くじはギャンブルではない。
しかし、よくよく考えればそうなのかもしれない。
五分後車に轢かれて死ぬのも未来なら、宝くじを当てて人生設計を完成させるのも未来。どれも可能性なのだから、それを信じられる人間は斯くも幸せな動物だ。
そう思う反面、可能性と事実は違うと言うべきかどうか、深夜のファミレスであたしはしばらく悩んでいるのだ。
今まで生きてきたわずか25年の人生を振り返りながら、これから先いくつまでどんな人生を送るかということを想像してみた。
明日車に轢かれて死ぬかもしれないのに。
5分後隕石に当たって死ぬかもしれないのに。
しかし、想像の中の自分はしっかりと年を重ね、安穏とした余生を暮らしていた。
現状に不安を抱えていても、貯金の残高が気になっても、想像の中の自分はしっかりと年老いそれなりに生きているのだ。何しろ想像の未来には世知辛いしがらみなど絡ませたくない。そこでは自分の希望のみの望むべき未来ができあがっているのだから、あたしはなんと幸せなヤツだろうと思ってしまう。
しかし、こんな楽天的なあたしといえど、やはり未来は不安なのだ。安穏とした未来を想像しても、眼前に転がる通帳の残高は増えない。公共料金の請求書も減らないし、給料やら原稿料もいきなり増えたりしないのだ。
そして、終いには友人フクスケに飯を奢ってもらいながら、そんな話までしてしまう。
特に深夜のファミレスなんてうってつけの場所だ。そんな話題で悩んでみたり、社会に警鐘を鳴らしてみたり、むやみに不安になったりと若い二人は忙しいのだ。そして、先日もついついそんな話題を下ネタなどを織り交ぜつつ交わしていたわけだが、その時のフクスケは普段の彼とどこか違っていた。
何しろ将来に対する不安などまるで感じさせない、オトコらしさが漂っていたのだ。しかもよくよく聞いてみれば、
「人生設計はカンペキだ」
なんて言うではないか。
あたしユメでも見ているのではないかと思った。もしくは彼がユメの中なのではないかと疑った。しかし、彼の人生設計の実際を聞いてあたしは二度驚くことになる。何とも理にかなったその計画性に脱帽することになるのだ。
その一度目は、彼の家族に対する思いやりである。彼は自分の家族やこれから家族になるもののためにマンション、もしくは家を建てようと考えていたのだ。現在アパート住まいのあたしの将来は、なんだかぼんやりした、どこともしれぬ縁側だが、彼の将来は自分で建てた家、もしくはマンションで値段やらなにやらまでほぼカンペキに算出されていた。つまり、彼はこの先自分にとっていかほどの金が必要かと言うことをよく理解していると言うことになる。
すばらしいことではないか!
これから自分が使うであろう必要経費の算出は人生設計にとって必要不可欠なものである。あたしとたいして年の離れていない彼がこれを理解しているというのはものすごい衝撃である。
しかし、次の衝撃はさらにすごかった。
なにしろ彼はこともなげに言い放ったのだから。
「あとは宝くじ当てるだけだ」
なんてコトだろう!
当初冗談かとも思ったが、あたしを見る凛とした彼の瞳にウソはなかった。発言は決して冗談ではなく、彼の人生にはしかと「宝くじを当てる」というイベントが書き込まれているのだ。いや、イベントと呼ぶのが申し訳ないくらい「確定した事実」としてである。
ギャンブルで身を滅ぼすというのは、あまりにもありきたりだが、彼にとって宝くじはギャンブルではない。
しかし、よくよく考えればそうなのかもしれない。
五分後車に轢かれて死ぬのも未来なら、宝くじを当てて人生設計を完成させるのも未来。どれも可能性なのだから、それを信じられる人間は斯くも幸せな動物だ。
そう思う反面、可能性と事実は違うと言うべきかどうか、深夜のファミレスであたしはしばらく悩んでいるのだ。
ドキドキしたい。
2001年10月4日 前出のウエダ夫妻だが、漢字で書くと上田夫妻だが、相も変わらずあたしに迷惑をかけてくる。彼ら風に言うなら「あたしを心配している」という風になるのだろうが、それは大きな間違いだと言ってやりたいくらい、彼らはいけしゃぁしゃぁとあたしに迷惑をかけるのだ。
もっとも昔はそうでもなかった。ウエダ(夫)とはそこそこの付き合いで、学生時代などは時々二人で飲みにいったものだ。当時ウエダ(妻)のコトも知ってはいたが、カノジョとはそうでもなかった。
とにかく、そこそこ仲の良かったあたしとウエダ(夫)は、そこそこの付き合いで時々飲みに行く仲だったのだが、ある日ヤツの部屋に招待されたあたしが見たモノは六畳の部屋には不釣り合いなほどの頑丈な本棚やらちゃぶ台で、なんでも当時のヤツ曰く、
「街角に放ってあったので可哀想に思って連れてきた」
だそうなのだ。要は寒さに震える猫を拾い上げて飼い猫にするが如く、本棚やらちゃぶ台やらを連れて帰ってきたのだろうが、なんともたくましいオトコではないか。
世界の半分が死んでも、こいつは生き残る方に入るだろうなと思ったのを今でも良く憶えている。
ところで話は変わるが、先日ウエダ(妻)に呼び出された。なんでも酒を奢ってやるのでグチに付き合えとのコト。まあまあ知らぬ仲ではないし、何よりそこそこ付き合いの長くなった友人の奥様である。無下に断るわけにも行くまいと思い、ひょこひょこと出ていったのだが。
着いた先の飲み屋では、すでに出来上がったカノジョが待ちかまえていた。前後不覚には陥ってないまでも左右の区別は明らかに付かなくなってるご様子で、うなり声をあげながらあたしの方を見てるではないか。
まさにただごとではない。のっぴきならない状況というのはこういうコトを言うのだろうなと思ってしまう。しかし、よくよく伺ってみれば「ダンナと久しぶりに飲みに行く約束をしたら姑に何事か言われ、挙げ句ダンナは仕事が終わらずに遅れている」とのこと。
なんだか可哀想な話ではないか。
しばらく付き合ってやってもいいかなー?。なんて思ってしまう。
しかし、そんな甘い顔を見せたが最後、カノジョは怒濤の如く日々をグチり始めた。しかも時折ジャブのように愛についてを織り交ぜる。
ビールを飲んでグチを言ってツマミを食べる。
グチを言ってビールを飲んで、
ビールを飲んでグチを言う。
ツマミを忘れてグチとビールを繰り返すカノジョはなんだかグチ専門の放送局みたいだったが、そんな風にカノジョを見ていたら、ふとこんなコトを言ったのだ。
「結婚したらさー、ヨシユキが途端にオヤジになったのよー。なんかさぁ、ドキドキとかあんまりしなくなっちゃったー」
少しだけドキリとした。
カノジョが口走ったコトなので仕方なく明かすが、ウエダ(夫)はウエダヨシユキという。そう言うのだが、そのヨシユキはオヤジになっちゃって、ドキドキも少なくなっちゃったということなのだ。
そういえば、他の奥様方も口々に同じ様なことを言っていたような覚えもあるし、改めて言われると、どうもイロイロ思い当たっちゃうのだ。
ドキリドキリとしたあたしは、カノジョの話半分でそんなことを考えていたら、ようやっとウワサのオヤジヨシユキが現れた。
スーツにビジネスカバンといういかにも会社帰りな出で立ち。たまに休日に会うヨシユキとはまるで別人で、なんだか気後れしてしまうほど、オヤジヨシユキは社会人っぽい。
しかし、そんなヤツに向かってあたしは、ザマーミロとばかりに言ってやった。あたしよりも先に青春を終えたようなオヤジヨシユキにドキドキの話をしてやったのだ。
でもヤツはこともなげに言った。
「ドキドキなんて探せばどこにだってあるぞ」
なんて言ったのだ。
「道端にだって落ちてる」
だなんて。
酔ってもいないのに。あたしのザマーミロは宙ぶらりんのままで、オヤジヨシユキはなんだか少しカッコイイ。ドキドキは道端にだって落ちてるだなんて、そんなこと。
ウエダ(妻)は、そんなヤツを黙って見ていた。ドキドキを拾うと宣言してるウエダヨシユキをジッと見ていた。しかし程なく、ダンナであるところの、最近オヤジになったウエダヨシユキに向かってモゴモゴと言ったのだった。
ウエダ夫妻を見送った後、あたしは一人夜の商店街を歩いて帰った。
いつも通りの薄ぼんやりとした商店街は、いつも通り薄ぼんやりとしたモノで溢れていたが、どこを探してもドキドキなんて落ちてない。オヤジヨシユキには見えてもあたしには見えないドキドキ。でもウエダ(妻)も言っていた。
「道端に落ちてるのなんて拾わないでよ」
そうなのだ。できれば誰かをドキドキさせて、できれば誰かにドキドキさせられたい。
カノジョもそう思ったに違いないのだ。
すっかり忘れていたのですが、そんな桜井シイタさんのウェブサイトはコチラ→リンク
もっとも昔はそうでもなかった。ウエダ(夫)とはそこそこの付き合いで、学生時代などは時々二人で飲みにいったものだ。当時ウエダ(妻)のコトも知ってはいたが、カノジョとはそうでもなかった。
とにかく、そこそこ仲の良かったあたしとウエダ(夫)は、そこそこの付き合いで時々飲みに行く仲だったのだが、ある日ヤツの部屋に招待されたあたしが見たモノは六畳の部屋には不釣り合いなほどの頑丈な本棚やらちゃぶ台で、なんでも当時のヤツ曰く、
「街角に放ってあったので可哀想に思って連れてきた」
だそうなのだ。要は寒さに震える猫を拾い上げて飼い猫にするが如く、本棚やらちゃぶ台やらを連れて帰ってきたのだろうが、なんともたくましいオトコではないか。
世界の半分が死んでも、こいつは生き残る方に入るだろうなと思ったのを今でも良く憶えている。
ところで話は変わるが、先日ウエダ(妻)に呼び出された。なんでも酒を奢ってやるのでグチに付き合えとのコト。まあまあ知らぬ仲ではないし、何よりそこそこ付き合いの長くなった友人の奥様である。無下に断るわけにも行くまいと思い、ひょこひょこと出ていったのだが。
着いた先の飲み屋では、すでに出来上がったカノジョが待ちかまえていた。前後不覚には陥ってないまでも左右の区別は明らかに付かなくなってるご様子で、うなり声をあげながらあたしの方を見てるではないか。
まさにただごとではない。のっぴきならない状況というのはこういうコトを言うのだろうなと思ってしまう。しかし、よくよく伺ってみれば「ダンナと久しぶりに飲みに行く約束をしたら姑に何事か言われ、挙げ句ダンナは仕事が終わらずに遅れている」とのこと。
なんだか可哀想な話ではないか。
しばらく付き合ってやってもいいかなー?。なんて思ってしまう。
しかし、そんな甘い顔を見せたが最後、カノジョは怒濤の如く日々をグチり始めた。しかも時折ジャブのように愛についてを織り交ぜる。
ビールを飲んでグチを言ってツマミを食べる。
グチを言ってビールを飲んで、
ビールを飲んでグチを言う。
ツマミを忘れてグチとビールを繰り返すカノジョはなんだかグチ専門の放送局みたいだったが、そんな風にカノジョを見ていたら、ふとこんなコトを言ったのだ。
「結婚したらさー、ヨシユキが途端にオヤジになったのよー。なんかさぁ、ドキドキとかあんまりしなくなっちゃったー」
少しだけドキリとした。
カノジョが口走ったコトなので仕方なく明かすが、ウエダ(夫)はウエダヨシユキという。そう言うのだが、そのヨシユキはオヤジになっちゃって、ドキドキも少なくなっちゃったということなのだ。
そういえば、他の奥様方も口々に同じ様なことを言っていたような覚えもあるし、改めて言われると、どうもイロイロ思い当たっちゃうのだ。
ドキリドキリとしたあたしは、カノジョの話半分でそんなことを考えていたら、ようやっとウワサのオヤジヨシユキが現れた。
スーツにビジネスカバンといういかにも会社帰りな出で立ち。たまに休日に会うヨシユキとはまるで別人で、なんだか気後れしてしまうほど、オヤジヨシユキは社会人っぽい。
しかし、そんなヤツに向かってあたしは、ザマーミロとばかりに言ってやった。あたしよりも先に青春を終えたようなオヤジヨシユキにドキドキの話をしてやったのだ。
でもヤツはこともなげに言った。
「ドキドキなんて探せばどこにだってあるぞ」
なんて言ったのだ。
「道端にだって落ちてる」
だなんて。
酔ってもいないのに。あたしのザマーミロは宙ぶらりんのままで、オヤジヨシユキはなんだか少しカッコイイ。ドキドキは道端にだって落ちてるだなんて、そんなこと。
ウエダ(妻)は、そんなヤツを黙って見ていた。ドキドキを拾うと宣言してるウエダヨシユキをジッと見ていた。しかし程なく、ダンナであるところの、最近オヤジになったウエダヨシユキに向かってモゴモゴと言ったのだった。
ウエダ夫妻を見送った後、あたしは一人夜の商店街を歩いて帰った。
いつも通りの薄ぼんやりとした商店街は、いつも通り薄ぼんやりとしたモノで溢れていたが、どこを探してもドキドキなんて落ちてない。オヤジヨシユキには見えてもあたしには見えないドキドキ。でもウエダ(妻)も言っていた。
「道端に落ちてるのなんて拾わないでよ」
そうなのだ。できれば誰かをドキドキさせて、できれば誰かにドキドキさせられたい。
カノジョもそう思ったに違いないのだ。
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パチンコ天国
2001年10月2日 前に住んでいたアパートの近所にパチンコ天国なるパチンコ屋があった。略して「パチ天」なのだが、その天国が火災に見舞われたのがちょうど四年前。
青春群像劇風に書くなら
「忘れもしないあの日、僕らの天国は燃えてしまったんだ」
てなカンジになるのだが、実際のパチ天は青春群像なんて青臭い連中は近寄れないくらい勝負師の匂いをプンプンさせていて、いや、プンプンを通り越してブンブンくらいいっていたに違いないが、とにかくソコはもはや化石と呼べるくらい希少価値の指で弾くホンモノの「パチンコ」が楽しめる数少ない場所だったのだ。
当然学生の時分などは、パチ天でのタバコをくわえながえらのパチンコがオトナの証みたいで、少しだけすがすがしい気分を味わえた。
もっとも今になって思えば、当時のあたしが周りに漂う勝負師の雰囲気に溶け込めるはずもなく、他の客からしてみれば子供が背伸びした程度に過ぎなかったのだろう。
とにかくそんなパチ天だが、ちょうど四年前、上にも書いたとおり火事に見舞われてしまい閉店を余儀なくされた。
火災直後のパチ天は黒くくすんでいて、夕方になると申し訳程度に灯っていた看板も何もすべてから生気が失われて、それを見上げたあたしのココロには、喪失感だけが冷たい鉛のように落ち込んでいったのを良く憶えている。
ところで、ごく最近のコトだ。
仕事の都合で以前住んでいたアパートの近くを訪れた。わずか数年離れていただけなのに、ソコはまるで別の街のように感じられてなんだか少しよそよそしかった。
パチ天は無くなってしまったろうと思っていたのにしっかり営業を再開していて、中を覗けば相変わらずの客層。火災後の閉店がまるで長めの休暇だったかの様に、看板も何も当時よりも少しだけキレイなったパチ天がソコにあったのだ。
いかな天国だろうと休暇は必要だろうよ。そう語りたげに、寡黙な店主は入り口に立つあたしに一目だけ向けるとすぐに手元のテレビに見入ってしまう。
一歩、店内に足を踏み入れ、少しだけキレイになった椅子に座ってみる。銀玉を弾くパチンコに触れて、さて自分はココに似合うほどオトナになったのだろうか。
タバコに火を付けて、変わらない天国にコインを一枚入れてみるのだ。
青春群像劇風に書くなら
「忘れもしないあの日、僕らの天国は燃えてしまったんだ」
てなカンジになるのだが、実際のパチ天は青春群像なんて青臭い連中は近寄れないくらい勝負師の匂いをプンプンさせていて、いや、プンプンを通り越してブンブンくらいいっていたに違いないが、とにかくソコはもはや化石と呼べるくらい希少価値の指で弾くホンモノの「パチンコ」が楽しめる数少ない場所だったのだ。
当然学生の時分などは、パチ天でのタバコをくわえながえらのパチンコがオトナの証みたいで、少しだけすがすがしい気分を味わえた。
もっとも今になって思えば、当時のあたしが周りに漂う勝負師の雰囲気に溶け込めるはずもなく、他の客からしてみれば子供が背伸びした程度に過ぎなかったのだろう。
とにかくそんなパチ天だが、ちょうど四年前、上にも書いたとおり火事に見舞われてしまい閉店を余儀なくされた。
火災直後のパチ天は黒くくすんでいて、夕方になると申し訳程度に灯っていた看板も何もすべてから生気が失われて、それを見上げたあたしのココロには、喪失感だけが冷たい鉛のように落ち込んでいったのを良く憶えている。
ところで、ごく最近のコトだ。
仕事の都合で以前住んでいたアパートの近くを訪れた。わずか数年離れていただけなのに、ソコはまるで別の街のように感じられてなんだか少しよそよそしかった。
パチ天は無くなってしまったろうと思っていたのにしっかり営業を再開していて、中を覗けば相変わらずの客層。火災後の閉店がまるで長めの休暇だったかの様に、看板も何も当時よりも少しだけキレイなったパチ天がソコにあったのだ。
いかな天国だろうと休暇は必要だろうよ。そう語りたげに、寡黙な店主は入り口に立つあたしに一目だけ向けるとすぐに手元のテレビに見入ってしまう。
一歩、店内に足を踏み入れ、少しだけキレイになった椅子に座ってみる。銀玉を弾くパチンコに触れて、さて自分はココに似合うほどオトナになったのだろうか。
タバコに火を付けて、変わらない天国にコインを一枚入れてみるのだ。
果物茂木
2001年9月28日 駅前商店街には果物茂木という店がある。
文字通り果物屋さんだ。
何年そこで営業しているのかは定かではないが、あたしが東京に住み始めて数年、近くにできたスーパーの圧力で半崩壊の商店街にあってそれでも変わらず営業を続けている。
軒先からのぞく風景は年季の入った壁に年季の入った雛壇、そして年季の入ったオヤジとまさに年季づくし。どれもこれもが愛おしいくらいの歴史を重ね、それなりに偏屈になり、そしてそれなりに弱ってきている。
なかでもオヤジの遠耳には恐れ入るほどで、あたし自身「彼は商売してはいけないのではないか?」と何度も疑ったものだが、どんな魔法を使っているのか日々店の軒先には新鮮な果物が並んでいる。
そんな果物茂木だが、その店には独特の決まりがあった。それは果物茂木の商品のラインナップについてなのだが、四季折々様々な果物が店先を賑わす果物屋にあって、果物茂木だけは一年間ずっと同じラインナップでガンバッている。旬などクソくらえの精神で一年間オヤジのおすすめ果物ばかりを店に取りそろえておいているのだ。
なかでもオヤジの一番推しは「本加工バナナ」である。
常に店の軒先、雛壇の最前列に陳列されているそれは、商品名も油性マジックの大きな文字で「本加工バナナ」と書かれ、その下にさらに大きな文字で「おいしい」と書かれている。字の大きさだけみるのなら間違いなく「おいしい」が商品名だと思えるくらいの比率である。
しかし極めつけは、その本加工バナナの隣に並ぶ「スーパー加工バナナ」だろう。何しろ「おいしい」とでかでかと書かれた「本加工バナナ」に比べ、コチラには商品名の下に「スーパーで安売りしている」と書かれているだけで、味についてはいっさい言及されていない。
しかも「おいしい」の隣にである。
これはまいった。
「敢えて語りはせんが、判るだろうよ」
そんなオヤジの主張が一目瞭然だ。本加工バナナは美味いが、スーパー加工バナナはスーパーでの安売り品なのだ。
店先に並んでいる二種類のバナナ。オヤジに問い合わせてみれば仕入れの数は同じらしい。朝方見てみれば二つの黄色い山は確かに同じ大きさをしている。
そして、店の終わりに寄ってみれば必ずといっていいほど本加工バナナが売れ残っている。店の奥ではイスに腰掛けたオヤジがじっと店先を見つめていて、100円ほど高めに設定された「おいしい」は少しだけ黒ずんでいるのだ。
しかし、オヤジは明日も明後日も同じ量のバナナを仕入れるだろう。「おいしい」と書かれた自信満々の看板を掲げて、それなりに偏屈で、それなりに弱ったオヤジは、明日もかくしゃくと果物を売るのである。
文字通り果物屋さんだ。
何年そこで営業しているのかは定かではないが、あたしが東京に住み始めて数年、近くにできたスーパーの圧力で半崩壊の商店街にあってそれでも変わらず営業を続けている。
軒先からのぞく風景は年季の入った壁に年季の入った雛壇、そして年季の入ったオヤジとまさに年季づくし。どれもこれもが愛おしいくらいの歴史を重ね、それなりに偏屈になり、そしてそれなりに弱ってきている。
なかでもオヤジの遠耳には恐れ入るほどで、あたし自身「彼は商売してはいけないのではないか?」と何度も疑ったものだが、どんな魔法を使っているのか日々店の軒先には新鮮な果物が並んでいる。
そんな果物茂木だが、その店には独特の決まりがあった。それは果物茂木の商品のラインナップについてなのだが、四季折々様々な果物が店先を賑わす果物屋にあって、果物茂木だけは一年間ずっと同じラインナップでガンバッている。旬などクソくらえの精神で一年間オヤジのおすすめ果物ばかりを店に取りそろえておいているのだ。
なかでもオヤジの一番推しは「本加工バナナ」である。
常に店の軒先、雛壇の最前列に陳列されているそれは、商品名も油性マジックの大きな文字で「本加工バナナ」と書かれ、その下にさらに大きな文字で「おいしい」と書かれている。字の大きさだけみるのなら間違いなく「おいしい」が商品名だと思えるくらいの比率である。
しかし極めつけは、その本加工バナナの隣に並ぶ「スーパー加工バナナ」だろう。何しろ「おいしい」とでかでかと書かれた「本加工バナナ」に比べ、コチラには商品名の下に「スーパーで安売りしている」と書かれているだけで、味についてはいっさい言及されていない。
しかも「おいしい」の隣にである。
これはまいった。
「敢えて語りはせんが、判るだろうよ」
そんなオヤジの主張が一目瞭然だ。本加工バナナは美味いが、スーパー加工バナナはスーパーでの安売り品なのだ。
店先に並んでいる二種類のバナナ。オヤジに問い合わせてみれば仕入れの数は同じらしい。朝方見てみれば二つの黄色い山は確かに同じ大きさをしている。
そして、店の終わりに寄ってみれば必ずといっていいほど本加工バナナが売れ残っている。店の奥ではイスに腰掛けたオヤジがじっと店先を見つめていて、100円ほど高めに設定された「おいしい」は少しだけ黒ずんでいるのだ。
しかし、オヤジは明日も明後日も同じ量のバナナを仕入れるだろう。「おいしい」と書かれた自信満々の看板を掲げて、それなりに偏屈で、それなりに弱ったオヤジは、明日もかくしゃくと果物を売るのである。
お客様満足
2001年9月20日 業界にはCSなんて言葉がある。
この際どこの業界かは聞かないで欲しいが、このCS「customer satisfaction」の略なのだが、訳すなら「お客様満足」。つまりは「お客様が満足するようなサービスを提供しなさいよー」ということらしい。
しかし、あたしとしては「お客様満足」ではなんだか物足りない。出来るなら「お客様『大』満足」といきたいのだ。英語に直せば「customer "die" satisfaction」。どうも間違ってるような気がするが、言葉から吹き出す熱意やら心意気はきっと伝わるはずである。この際だから細かなところには目をつむろう。お客様が感涙に咽ぶ様が目に浮かぶようである。
ところで、そんなCSだが、この言葉の精神はどんな業種にとっても重要なものだと思われる。何しろお客様がいない商売などこの世界には存在しないのだから。それが商いである以上何かの代価としてお金を得ているのだ。例えばプロスポーツ選手などは、彼らの能力をお金というカタチで評価してもらっている。金メダルをもらってサワヤカに笑うカレシカノジョだって様々な紆余曲折は経るだろうが、結果としてお金を手に入れているのだ。
そんなワケなので、別にココを商売にするつもりはサラサラないが、もう一度言うがココで商売しようなど露ほども思ってないが、CSの精神を取り入れたっていいじゃないかと思ったのだ。
そして、一晩やら二晩やら三晩やら。怖い夢やエッチな夢に惑わされながら、読み手のみなさまの好きそうなモノを必死に考えてみた。あれやこれやと想像してみたのだが、コレを読んでくださるみなさまの趣味趣向など一向に見えてこなかった。掲示板の書き込みを見ても同様である。
なんだか、CSでいっぱいいっぱいのあたしの目の前に広がりはじめたもやの様なモノは、ズバリ読んでいただいてるみなさまの趣味趣向なんて言い換えられなくもないが、そう言い換えた瞬間にまさにもやになってしまい、五里どころか万里先まで霧の中である。
しかし、あたしとしてもこんなところでへこたれるわけにはいかない。CSの精神を導入するなどとうそぶいた手前、挫けましたでは示しがつかないのだ。もっとも幸いなことに、コチラをお読みの方々にはアダルティーな方が多いことくらいは理解している。ならばコレにすがってみるしかあるまいよ。
つまり、大昔のテレビ番組ではないが、アダルトと来ればヤング。この際である。多少乱暴ではあるが小中学生に代表されるヤング層、つまり思春期層をターゲット外として、アダルティーなみなさまの趣味趣向を狙い撃ちさせていただきたい。
そして、そんなアナタへのキャッチーな提案がコレ!
おいちぃでゅかぁ。
うまうま。
さぁ、どうか?
一瞬、赤ちゃんへの提案に見えなくもないが、実は幼児プレイ。なんて小気味のいいCSであることか。幼児プレイだなんてアダルティー以外のナニモノでもあるまい。みなさまにその趣味がおありかどうかは別としても、幼児のうちに幼児プレイは出来まい。覚え立ての思春期クンだってまさかカレシカノジョにコレの要求をできはしないだろう。
まさにカンペキ。次回からはこのセンで攻めよう。固く心に誓おう。今日だけでも。出来るだけ。そんなあたしからの「お客様満足」なのだ。
どうでちゅかぁ?
この際どこの業界かは聞かないで欲しいが、このCS「customer satisfaction」の略なのだが、訳すなら「お客様満足」。つまりは「お客様が満足するようなサービスを提供しなさいよー」ということらしい。
しかし、あたしとしては「お客様満足」ではなんだか物足りない。出来るなら「お客様『大』満足」といきたいのだ。英語に直せば「customer "die" satisfaction」。どうも間違ってるような気がするが、言葉から吹き出す熱意やら心意気はきっと伝わるはずである。この際だから細かなところには目をつむろう。お客様が感涙に咽ぶ様が目に浮かぶようである。
ところで、そんなCSだが、この言葉の精神はどんな業種にとっても重要なものだと思われる。何しろお客様がいない商売などこの世界には存在しないのだから。それが商いである以上何かの代価としてお金を得ているのだ。例えばプロスポーツ選手などは、彼らの能力をお金というカタチで評価してもらっている。金メダルをもらってサワヤカに笑うカレシカノジョだって様々な紆余曲折は経るだろうが、結果としてお金を手に入れているのだ。
そんなワケなので、別にココを商売にするつもりはサラサラないが、もう一度言うがココで商売しようなど露ほども思ってないが、CSの精神を取り入れたっていいじゃないかと思ったのだ。
そして、一晩やら二晩やら三晩やら。怖い夢やエッチな夢に惑わされながら、読み手のみなさまの好きそうなモノを必死に考えてみた。あれやこれやと想像してみたのだが、コレを読んでくださるみなさまの趣味趣向など一向に見えてこなかった。掲示板の書き込みを見ても同様である。
なんだか、CSでいっぱいいっぱいのあたしの目の前に広がりはじめたもやの様なモノは、ズバリ読んでいただいてるみなさまの趣味趣向なんて言い換えられなくもないが、そう言い換えた瞬間にまさにもやになってしまい、五里どころか万里先まで霧の中である。
しかし、あたしとしてもこんなところでへこたれるわけにはいかない。CSの精神を導入するなどとうそぶいた手前、挫けましたでは示しがつかないのだ。もっとも幸いなことに、コチラをお読みの方々にはアダルティーな方が多いことくらいは理解している。ならばコレにすがってみるしかあるまいよ。
つまり、大昔のテレビ番組ではないが、アダルトと来ればヤング。この際である。多少乱暴ではあるが小中学生に代表されるヤング層、つまり思春期層をターゲット外として、アダルティーなみなさまの趣味趣向を狙い撃ちさせていただきたい。
そして、そんなアナタへのキャッチーな提案がコレ!
おいちぃでゅかぁ。
うまうま。
さぁ、どうか?
一瞬、赤ちゃんへの提案に見えなくもないが、実は幼児プレイ。なんて小気味のいいCSであることか。幼児プレイだなんてアダルティー以外のナニモノでもあるまい。みなさまにその趣味がおありかどうかは別としても、幼児のうちに幼児プレイは出来まい。覚え立ての思春期クンだってまさかカレシカノジョにコレの要求をできはしないだろう。
まさにカンペキ。次回からはこのセンで攻めよう。固く心に誓おう。今日だけでも。出来るだけ。そんなあたしからの「お客様満足」なのだ。
どうでちゅかぁ?
いちじゅうひゃくせんまん。
2001年9月14日 そんなことをするヤツは阿呆か色情狂くらいのモノだろうと思っていたのに、気が付けば個人的事情に留まらず個人的情事のコトまで嬉々として語ってしまった昨今。
あたし自身、その状況に戦々恐々としながらも、この分ではその内セックスの実況中継すらやりかねないと考えたり、考えなかったりで、その時は是非、みなさまに自慢できるプレイでもお届けしようかと思い、今から楽しみでならないのだ。
しかし、コチラでそうそう気の抜けたことばかり書いていても、あたしの沽券に関わるというモノで、ここらでひとつ、あたしが如何に賢いかというのをみなさまにお見せするのも悪くはなかろうと思うのだし、むしろ是非見ていただきたいのである。なんなら全裸になってもいい。
ともかく、日頃から間抜けなことしか書けないあたしとしては、ここらで無理をしてでも
「あたしって賢いのよん」
ってコトをみなさまにアッピールしたいのだ。
よってココから先はあたしが鼻息も荒く語るモノばかりなので、たいへん胸クソ悪いに違いない。嫌悪感をもよおす場合がある。時には吐き気と尿意、便意までもよすかも知れないが、オマルや携帯用トイレ、ゲロ袋等をご用意の上最後までお読みいただきたい。コレも偏にあたしが賢いと理解していただきたいが為、読み手には何も気を配ってないので、当然ながら責任もとれないのだ。ザマーミロだ。
そして、これだけたいそうな前書きをおいてまであたしが必死で訴える「あたし賢い説」。それを証明する手段として用いるのがやはり、我が友人群総称フクヤケイスケの一人である。
何しろ「自分賢いぜ?」と他人に思わせるためには、自分よりアレな友人との比較対照が一番手っ取り早くラクチンなのだ。そんなわけで彼には謹んでスケープゴートになっていただく。ヒヒヒヒ。
そもそもあたしが「自分賢い!」とさらなる確信を深めたのは数日前に遡る。もともと調べモノのダイッキライなあたしとしては、調べモノって聞いた瞬間に鳥肌が立ち、寒気がして、失神のち失禁なくらいなのだが、インターネットにおわします、かの検索エンジン様の有用性はたいへん認めることころだ。
何しろ知りたい単語を入れるだけで、それに関係ありそうなページを何万件も表示して下さるのだからありがたい。検索結果件数が多いのはチト気になるところではあるが、図書館の本棚の本をすべて読むよりは数倍ラクだろう。
インターネット始めたての頃などは嬉しくなって、検索語入力欄に「オッパイオッパイオッパイ…」なんて、オッパイを二十個くらい並べたモノだ。もっとも今では多少落ち着いて、こうして昔を懐かしむ余裕も出てきたし、並べて入力するオッパイの数も10コくらいには減ってきた。
そんな落ち着き始めた今日この頃のあたしだが、先日とあるサイトで「数の位取り」についての記述を見つけた。判りやすく解説するなら「一、十、百、千、万、億、兆、…無量大数」というアレである。
そのサイトにはそれらが「10のx乗」というカタチで表記されていて、たいへん判りやすかった。特に数字に弱いあたしとしては、そんな大きな数字を見せられて心ワクワク胸ドキドキ。嬉しさで前後不覚になってしまうくらいである。いや、ホントのことを言えば前後不覚になった。
そして、早速そのことを友人のフクスケに電話で知らせたのだが、午前4時。受話器の向こうにいるヤツは、眠そう、且つたいへん興味なさげな対応。果ては、
「そんな億とか、兆とかよりも千円とか万円の方が大事だしよー」
である。
なんたることか!
ヤツには数学のなんたるかなんて関係ないのである。ほとばしる知性とかそう言うのは関係ないのである。それよりも何よりも大きな数字で前後不覚にならないのである。その辺がたいへん気に入らない。
もっともあたしとしても、そんな億とか兆とか、果ては無量大数とかでヤツを驚かせようとは毛の先ほども思っていない。実はあたしにはとんでもない必殺技があったのだ。
その名も「10の-x乗」。つまり0.1とか0.01のコトなのだが、コチラ「分」「厘」「毛」ときてその次がなんと「糸(し)」。糸なのである。きっとこの単位を考えたヒトは毛よりも糸の方が細いと考えてこんな単位にしたに違いない。
そしてさらに「10の-14乗が逡巡(しゅんじゅん)」「10の-1乗が須臾(しゅゆ)」「10の-18乗が刹那(せつな)」と言うのである。どうだ!それ見たことかと鼻の穴を膨らませて語りたい。何しろこれらの単語はちゃんと言葉としても使われている。「逡巡する」や「その刹那」など。「須臾」に関しては滅多に見ないモノだが、しかしそれ以外はソコココで確認できる。小説を読めばごまんと登場する「月並みな」な表現なのである。
つまり、あたしの妄想的発言の一環として捉えていただいても構わないが「その刹那」とこの「刹那」が同じモノだとするなら、今まで曖昧に、感覚的にしか表現できなかった「刹那」という時間の長さが「10の-18乗秒、もしくは分、時間、日あるいは年」などというカンジで表現できるかも知れないのだ。コレは凄いことだぞフクスケ!聞いてるか?
なんて、興奮したあたしの語りを黙って聞いていたフクスケだが、少しの間をおいてこんなコトを言った。
「じゃあ、あっという間ってのはどれくらいの時間なんだ?」
…。
なんてコトだろう!確かにそうだ。あっという間もこうして表現できるかも知れない。フクスケにもあたしの熱意が伝わった。とうとうヤツも数学に目覚めたのだ。勢い、そのサイトにある表を血眼で探してみるが、しかし「あっという間」なんて位取りはないのだ。
コレは困った。折角フクスケも数学への熱意に目覚めたというのに、ヤツの出鼻を挫いてしまったのかも知れない。まいったなぁ。そう思って黙っていると、電話口のフクスケがこんなコトを言った。
「『あっ』って言う間に決まってるだろ」
そして、続けざまにこんなコトも言い放つ。
「ヘンなモノ見つけて嬉しいのは判るが、午前4時なんて時間は電話するのも逡巡する時間じゃねーか?」
ガチャン。
粋な音を立てて電話が切れた。
そして、受話器からするツーツーツーという音を聞きながらあたしは思った。
是非、単位の横にその意味も書いて置いてほしい。出来ることなら注意書きも付けて。
『お友達にお知らせする前に、今のお時間をご確認下さい』
それくらいしっかり書いていただかないと、賢いあたしには判らないのだ。
あたし自身、その状況に戦々恐々としながらも、この分ではその内セックスの実況中継すらやりかねないと考えたり、考えなかったりで、その時は是非、みなさまに自慢できるプレイでもお届けしようかと思い、今から楽しみでならないのだ。
しかし、コチラでそうそう気の抜けたことばかり書いていても、あたしの沽券に関わるというモノで、ここらでひとつ、あたしが如何に賢いかというのをみなさまにお見せするのも悪くはなかろうと思うのだし、むしろ是非見ていただきたいのである。なんなら全裸になってもいい。
ともかく、日頃から間抜けなことしか書けないあたしとしては、ここらで無理をしてでも
「あたしって賢いのよん」
ってコトをみなさまにアッピールしたいのだ。
よってココから先はあたしが鼻息も荒く語るモノばかりなので、たいへん胸クソ悪いに違いない。嫌悪感をもよおす場合がある。時には吐き気と尿意、便意までもよすかも知れないが、オマルや携帯用トイレ、ゲロ袋等をご用意の上最後までお読みいただきたい。コレも偏にあたしが賢いと理解していただきたいが為、読み手には何も気を配ってないので、当然ながら責任もとれないのだ。ザマーミロだ。
そして、これだけたいそうな前書きをおいてまであたしが必死で訴える「あたし賢い説」。それを証明する手段として用いるのがやはり、我が友人群総称フクヤケイスケの一人である。
何しろ「自分賢いぜ?」と他人に思わせるためには、自分よりアレな友人との比較対照が一番手っ取り早くラクチンなのだ。そんなわけで彼には謹んでスケープゴートになっていただく。ヒヒヒヒ。
そもそもあたしが「自分賢い!」とさらなる確信を深めたのは数日前に遡る。もともと調べモノのダイッキライなあたしとしては、調べモノって聞いた瞬間に鳥肌が立ち、寒気がして、失神のち失禁なくらいなのだが、インターネットにおわします、かの検索エンジン様の有用性はたいへん認めることころだ。
何しろ知りたい単語を入れるだけで、それに関係ありそうなページを何万件も表示して下さるのだからありがたい。検索結果件数が多いのはチト気になるところではあるが、図書館の本棚の本をすべて読むよりは数倍ラクだろう。
インターネット始めたての頃などは嬉しくなって、検索語入力欄に「オッパイオッパイオッパイ…」なんて、オッパイを二十個くらい並べたモノだ。もっとも今では多少落ち着いて、こうして昔を懐かしむ余裕も出てきたし、並べて入力するオッパイの数も10コくらいには減ってきた。
そんな落ち着き始めた今日この頃のあたしだが、先日とあるサイトで「数の位取り」についての記述を見つけた。判りやすく解説するなら「一、十、百、千、万、億、兆、…無量大数」というアレである。
そのサイトにはそれらが「10のx乗」というカタチで表記されていて、たいへん判りやすかった。特に数字に弱いあたしとしては、そんな大きな数字を見せられて心ワクワク胸ドキドキ。嬉しさで前後不覚になってしまうくらいである。いや、ホントのことを言えば前後不覚になった。
そして、早速そのことを友人のフクスケに電話で知らせたのだが、午前4時。受話器の向こうにいるヤツは、眠そう、且つたいへん興味なさげな対応。果ては、
「そんな億とか、兆とかよりも千円とか万円の方が大事だしよー」
である。
なんたることか!
ヤツには数学のなんたるかなんて関係ないのである。ほとばしる知性とかそう言うのは関係ないのである。それよりも何よりも大きな数字で前後不覚にならないのである。その辺がたいへん気に入らない。
もっともあたしとしても、そんな億とか兆とか、果ては無量大数とかでヤツを驚かせようとは毛の先ほども思っていない。実はあたしにはとんでもない必殺技があったのだ。
その名も「10の-x乗」。つまり0.1とか0.01のコトなのだが、コチラ「分」「厘」「毛」ときてその次がなんと「糸(し)」。糸なのである。きっとこの単位を考えたヒトは毛よりも糸の方が細いと考えてこんな単位にしたに違いない。
そしてさらに「10の-14乗が逡巡(しゅんじゅん)」「10の-1乗が須臾(しゅゆ)」「10の-18乗が刹那(せつな)」と言うのである。どうだ!それ見たことかと鼻の穴を膨らませて語りたい。何しろこれらの単語はちゃんと言葉としても使われている。「逡巡する」や「その刹那」など。「須臾」に関しては滅多に見ないモノだが、しかしそれ以外はソコココで確認できる。小説を読めばごまんと登場する「月並みな」な表現なのである。
つまり、あたしの妄想的発言の一環として捉えていただいても構わないが「その刹那」とこの「刹那」が同じモノだとするなら、今まで曖昧に、感覚的にしか表現できなかった「刹那」という時間の長さが「10の-18乗秒、もしくは分、時間、日あるいは年」などというカンジで表現できるかも知れないのだ。コレは凄いことだぞフクスケ!聞いてるか?
なんて、興奮したあたしの語りを黙って聞いていたフクスケだが、少しの間をおいてこんなコトを言った。
「じゃあ、あっという間ってのはどれくらいの時間なんだ?」
…。
なんてコトだろう!確かにそうだ。あっという間もこうして表現できるかも知れない。フクスケにもあたしの熱意が伝わった。とうとうヤツも数学に目覚めたのだ。勢い、そのサイトにある表を血眼で探してみるが、しかし「あっという間」なんて位取りはないのだ。
コレは困った。折角フクスケも数学への熱意に目覚めたというのに、ヤツの出鼻を挫いてしまったのかも知れない。まいったなぁ。そう思って黙っていると、電話口のフクスケがこんなコトを言った。
「『あっ』って言う間に決まってるだろ」
そして、続けざまにこんなコトも言い放つ。
「ヘンなモノ見つけて嬉しいのは判るが、午前4時なんて時間は電話するのも逡巡する時間じゃねーか?」
ガチャン。
粋な音を立てて電話が切れた。
そして、受話器からするツーツーツーという音を聞きながらあたしは思った。
是非、単位の横にその意味も書いて置いてほしい。出来ることなら注意書きも付けて。
『お友達にお知らせする前に、今のお時間をご確認下さい』
それくらいしっかり書いていただかないと、賢いあたしには判らないのだ。
セックスマシーン その3
2001年9月11日 あたし最近、孫悟空のキモチ分かるの。
なんて、かわいく告白してしまいたいくらい、あたしは彼の気持ちが分かるのだ。何しろココ数日いやさ、数週間、興奮するとズキズキ痛み出す頭は、まるで緊箍児(きんこじ)をはめられた彼のようなものだ。コトあるごとに三蔵法師にナムナムとやられる彼の気持ちが良く分かるのだ。
しかし、それほどイケナイコトをした覚えのないあたしに、反省を促す頭痛の意味が分からない。
例の悟空さんなら、天界やら竜宮やらを荒らし回った挙げ句、石に閉じこめられ、漸く出てきた後、保護者の三蔵法師に緊箍児をはめられたのだろうから納得も出来るだろう。
でも、あたしときたら天界も荒らしてない。竜宮も荒らしてない。そもそもそれらがどこにあるかも判らないし、何より石に閉じこめられてないのにこのアリサマです。
サイアク。
しかし、医学は強かった。何しろ長い年月をかけて培われた技術の結晶なのだ。現代医学の父と呼ばれるクロード・ベルナールやらアンブロース=パレやら高峰譲吉やらパスツールやら野口英雄やらヒポクラテスやら。挙げ続ければキリがないほどのたくさんの父を持つ現代医学は、その複雑な家庭環境にも負けずにまっすぐに育ってくれた。ホントに偉大なのだ。
彼にかかれば、あたしの緊箍児なんて不思議なクスリでチョチョイのチョイというモンだ。
なーんてタカをくくっていたら、ホントにチョチョイのチョイだった。
あれほどの激痛が、わずか1センチ足らずのカプセルひとつで、アッという間に飛んでいってしまうのだ。逆にひいてしまうくらい、そのクスリは良く効いたのだ。
しかし、問題点がひとつだけあった。
ソレは、マイパートナーにどうやって説明するかである。
まさかカノジョの目の前に出して、
「セックスするとひどい頭痛がするので事前にクスリ飲んで起きます。EDとかじゃないよ?」
では、なんだかカッコ悪い。
オトコのコとしてはなんとかカッコつけたいのである。むしろ、
「このカプセルは知り合いのブローカーの友達から手に入れた、セックスが数倍気持ちよくなるクスリなのだー!!」
なんてくらいに。この場合社会的に正しいかどうかは置いておくとして。
もっとも、あたしもいいオトナである。いかなオトコのコといえど、社会性よりはカッコ良さ重視なんて時期も過ぎたろうと思っていたのだが、いざその時になると切っ先も鈍るもので。
ズバリ核心をついたコトは言えない。
そのため、あたしとしてはなんて説明するかが最大の難問だったのだ。
悩むところである。
しかし、答えは出てこない。
飲まないと出来ない。
しかし、飲み方が問題なのだ。
結局、洗面台を前に一人。微妙に屈めた背をベッドに向けながら神の如き早業でクスリを飲んでやろうと画策もしたのだが、意外にあっさり話すハメになった。
そして、飲んでみてやってみて、ふとサイドボードを見てみたら、コンドームとクスリが置いてあった。その風景は、少し未来的でケミカルで物珍しかったけど、ゆっくり楽しもうかなんて余裕はあたしにはない。
何しろ残弾数つきのセックスである。感傷に浸るより先に、
「これからどうしよう…?」
なんて切なくなってしまうのだ。
おしまい。
なんて、かわいく告白してしまいたいくらい、あたしは彼の気持ちが分かるのだ。何しろココ数日いやさ、数週間、興奮するとズキズキ痛み出す頭は、まるで緊箍児(きんこじ)をはめられた彼のようなものだ。コトあるごとに三蔵法師にナムナムとやられる彼の気持ちが良く分かるのだ。
しかし、それほどイケナイコトをした覚えのないあたしに、反省を促す頭痛の意味が分からない。
例の悟空さんなら、天界やら竜宮やらを荒らし回った挙げ句、石に閉じこめられ、漸く出てきた後、保護者の三蔵法師に緊箍児をはめられたのだろうから納得も出来るだろう。
でも、あたしときたら天界も荒らしてない。竜宮も荒らしてない。そもそもそれらがどこにあるかも判らないし、何より石に閉じこめられてないのにこのアリサマです。
サイアク。
しかし、医学は強かった。何しろ長い年月をかけて培われた技術の結晶なのだ。現代医学の父と呼ばれるクロード・ベルナールやらアンブロース=パレやら高峰譲吉やらパスツールやら野口英雄やらヒポクラテスやら。挙げ続ければキリがないほどのたくさんの父を持つ現代医学は、その複雑な家庭環境にも負けずにまっすぐに育ってくれた。ホントに偉大なのだ。
彼にかかれば、あたしの緊箍児なんて不思議なクスリでチョチョイのチョイというモンだ。
なーんてタカをくくっていたら、ホントにチョチョイのチョイだった。
あれほどの激痛が、わずか1センチ足らずのカプセルひとつで、アッという間に飛んでいってしまうのだ。逆にひいてしまうくらい、そのクスリは良く効いたのだ。
しかし、問題点がひとつだけあった。
ソレは、マイパートナーにどうやって説明するかである。
まさかカノジョの目の前に出して、
「セックスするとひどい頭痛がするので事前にクスリ飲んで起きます。EDとかじゃないよ?」
では、なんだかカッコ悪い。
オトコのコとしてはなんとかカッコつけたいのである。むしろ、
「このカプセルは知り合いのブローカーの友達から手に入れた、セックスが数倍気持ちよくなるクスリなのだー!!」
なんてくらいに。この場合社会的に正しいかどうかは置いておくとして。
もっとも、あたしもいいオトナである。いかなオトコのコといえど、社会性よりはカッコ良さ重視なんて時期も過ぎたろうと思っていたのだが、いざその時になると切っ先も鈍るもので。
ズバリ核心をついたコトは言えない。
そのため、あたしとしてはなんて説明するかが最大の難問だったのだ。
悩むところである。
しかし、答えは出てこない。
飲まないと出来ない。
しかし、飲み方が問題なのだ。
結局、洗面台を前に一人。微妙に屈めた背をベッドに向けながら神の如き早業でクスリを飲んでやろうと画策もしたのだが、意外にあっさり話すハメになった。
そして、飲んでみてやってみて、ふとサイドボードを見てみたら、コンドームとクスリが置いてあった。その風景は、少し未来的でケミカルで物珍しかったけど、ゆっくり楽しもうかなんて余裕はあたしにはない。
何しろ残弾数つきのセックスである。感傷に浸るより先に、
「これからどうしよう…?」
なんて切なくなってしまうのだ。
おしまい。
セックスマシーン その2
2001年9月9日 まさか、アレの真っ最中にアタマが痛くなるんですとは言えないよなぁ。
道々、あたしのアタマの中はそんなコトでいっぱいだった。まさかアノ瞬間がもっとも痛いとか、ソレの最中にだんだん痛くなってくるとか。アレアノソレで一体なにを判ってもらおうというのかってなモンであるが、まさか痛みがひいて正常な判断が下せる今も、アレに関して直接表現しか出てこないなんて、そんな自分は認めたくないのだ。
しかし、病院に着いたところで、受付を済ませたところで、お医者の目の前に来ても、横にかわいい看護婦さんが控えていようと、代名詞「アレ」に変わるになにかは出てこない。
まいったなぁ。
なんて、ほとほと弱り果てていたのである。
そして、賢い諸兄には理解していただけてると思うが敢えて説明を加えるなら、コレは「その2」。「その1」をお読みいただければさらにご理解を深めていただけるだろうが、要はアレの最中にアタマの痛くなったあたしは、今こうして病院の、診察室の、お医者の目の前に座っていて、看護婦さんとはなるべく目を合わせないようにしている。と言うワケなのである。
なにしろこれから自分が口にしなければならないであろう言葉は、ともすればセクハラ、もしくは恥辱プレイにも繋がる程たいそうなモノなのだし、出来れば診察室でなんて言いたくないと思っていたのだが、気の良いお医者は、
「どうしましたー?」
なんてコトを聞いてしまうのだ。
看護婦もいるのに。
外には他の患者も待ってるのに。
まだ太陽も出てるのに。
しかし、そんな風に聞かれては、あたしとしても肝据えて元気に答えるしかあるまいよ。
あたしもオトコのコであるが故、覚悟を決めて!とも思うのだ。でも、いざ言うとなると、あたしのナイーブなハートはドキドキと高鳴って、思春期の乙女が憧れの先輩の前に出たような、当然ながら乙女であったハズがないあたしには理解などできないが、まるでそうとしか言いようのないモノを抱えてしまう。
だいいち、腹括って言ってら、ステキな看護婦さんが「きゃーフケツ!」では、あたしとしても立場がない。それ以上にそんな看護婦もどうかと思うが…、
「先生、セックスするとアタマ痛くなるんですが。特に出すときとか!」
結局、清水の舞台から飛び降りたつもりで言ってみた。
そして、言った後に「セックス→性交」「出す→射精」なんてリッパな日本語があることに気がついたりして、つもりのハズがホントに飛んでしまった自分に気付いたのだった。
まいったなぁ。
その後もあたしのココロ以外ではつつがなく診察が続き、お医者と看護婦はアレとアノとソレがより具体的になった話を黙々と聞き続けていた。アタマのどの辺が痛いのかなんてコトもちゃんと聞いてくれはしたが、むしろあたしはココロがイタイ。齢25にもなって他人の目の前でセキララに性生活を明かすのはなかなかに勇気がいる。しかも、あたしの場合は、
「アタマが痛くてセックスできません。どうしましょう?」
なんて問題なのだ。話し終わった後には、いかんともしがたい虚脱感で胸がいっぱいだ。
しかし、話が終わるとかのお医者様は看護婦を携えてこんなコトを言い放った。
「でもセックスしたいでしょ?」
なんてコトを聞くのであろうか!そりゃしたいに決まってる。神様がやめろと言ったってそんなモノ無視するくらいの覚悟は出来てるが、なにも看護婦さんの居る前でそりゃないだろうというモノだ。あたしとしても、
「はぁ…」
なんて気のない返事を返すのが精一杯である。ホントは「イエッサー」くらいは言ってやりたいのだが、看護婦さんが見ているのだ。どうにかして自分を取り繕いたい悲しいサガ全開なのだ。しかし、そんなことを知ってか知らずか、お医者様は、
「じゃ、痛み止め出しておきますので」
そう言って、以降の検査予定を組み上げ、診察を切り上げてしまった。
処方箋を持って薬局でクスリを購入。
部屋に帰って見てみれば白いカプセルが10コ入っていた。
「痛くなったら飲んで下さいね」
なんてやさしく教えてくれた薬局のお姉さんにはたいへん感謝だが、カノジョもコレがあたしのアレアノソレのためにあるとは思いもするまい。
そして、残りのセックス回数が具体的に提示されてしまった今、次に病院に行く時期が勝負なのだ。速すぎて好き者、遅すぎたせいでロクにセックスも出来ないインポ野郎なんて思われてしまっては、今度は清水の舞台に上がることすらまかりならなくなってしまう。
つづく。
道々、あたしのアタマの中はそんなコトでいっぱいだった。まさかアノ瞬間がもっとも痛いとか、ソレの最中にだんだん痛くなってくるとか。アレアノソレで一体なにを判ってもらおうというのかってなモンであるが、まさか痛みがひいて正常な判断が下せる今も、アレに関して直接表現しか出てこないなんて、そんな自分は認めたくないのだ。
しかし、病院に着いたところで、受付を済ませたところで、お医者の目の前に来ても、横にかわいい看護婦さんが控えていようと、代名詞「アレ」に変わるになにかは出てこない。
まいったなぁ。
なんて、ほとほと弱り果てていたのである。
そして、賢い諸兄には理解していただけてると思うが敢えて説明を加えるなら、コレは「その2」。「その1」をお読みいただければさらにご理解を深めていただけるだろうが、要はアレの最中にアタマの痛くなったあたしは、今こうして病院の、診察室の、お医者の目の前に座っていて、看護婦さんとはなるべく目を合わせないようにしている。と言うワケなのである。
なにしろこれから自分が口にしなければならないであろう言葉は、ともすればセクハラ、もしくは恥辱プレイにも繋がる程たいそうなモノなのだし、出来れば診察室でなんて言いたくないと思っていたのだが、気の良いお医者は、
「どうしましたー?」
なんてコトを聞いてしまうのだ。
看護婦もいるのに。
外には他の患者も待ってるのに。
まだ太陽も出てるのに。
しかし、そんな風に聞かれては、あたしとしても肝据えて元気に答えるしかあるまいよ。
あたしもオトコのコであるが故、覚悟を決めて!とも思うのだ。でも、いざ言うとなると、あたしのナイーブなハートはドキドキと高鳴って、思春期の乙女が憧れの先輩の前に出たような、当然ながら乙女であったハズがないあたしには理解などできないが、まるでそうとしか言いようのないモノを抱えてしまう。
だいいち、腹括って言ってら、ステキな看護婦さんが「きゃーフケツ!」では、あたしとしても立場がない。それ以上にそんな看護婦もどうかと思うが…、
「先生、セックスするとアタマ痛くなるんですが。特に出すときとか!」
結局、清水の舞台から飛び降りたつもりで言ってみた。
そして、言った後に「セックス→性交」「出す→射精」なんてリッパな日本語があることに気がついたりして、つもりのハズがホントに飛んでしまった自分に気付いたのだった。
まいったなぁ。
その後もあたしのココロ以外ではつつがなく診察が続き、お医者と看護婦はアレとアノとソレがより具体的になった話を黙々と聞き続けていた。アタマのどの辺が痛いのかなんてコトもちゃんと聞いてくれはしたが、むしろあたしはココロがイタイ。齢25にもなって他人の目の前でセキララに性生活を明かすのはなかなかに勇気がいる。しかも、あたしの場合は、
「アタマが痛くてセックスできません。どうしましょう?」
なんて問題なのだ。話し終わった後には、いかんともしがたい虚脱感で胸がいっぱいだ。
しかし、話が終わるとかのお医者様は看護婦を携えてこんなコトを言い放った。
「でもセックスしたいでしょ?」
なんてコトを聞くのであろうか!そりゃしたいに決まってる。神様がやめろと言ったってそんなモノ無視するくらいの覚悟は出来てるが、なにも看護婦さんの居る前でそりゃないだろうというモノだ。あたしとしても、
「はぁ…」
なんて気のない返事を返すのが精一杯である。ホントは「イエッサー」くらいは言ってやりたいのだが、看護婦さんが見ているのだ。どうにかして自分を取り繕いたい悲しいサガ全開なのだ。しかし、そんなことを知ってか知らずか、お医者様は、
「じゃ、痛み止め出しておきますので」
そう言って、以降の検査予定を組み上げ、診察を切り上げてしまった。
処方箋を持って薬局でクスリを購入。
部屋に帰って見てみれば白いカプセルが10コ入っていた。
「痛くなったら飲んで下さいね」
なんてやさしく教えてくれた薬局のお姉さんにはたいへん感謝だが、カノジョもコレがあたしのアレアノソレのためにあるとは思いもするまい。
そして、残りのセックス回数が具体的に提示されてしまった今、次に病院に行く時期が勝負なのだ。速すぎて好き者、遅すぎたせいでロクにセックスも出来ないインポ野郎なんて思われてしまっては、今度は清水の舞台に上がることすらまかりならなくなってしまう。
つづく。
セックスマシーン その1
2001年9月6日 セキララに語るがセックスはキライではない。と言うかむしろ好きだ。
自分を正当化するわけではないが、25の若者が
「あたくしセックスキライなの」
では日本の未来が心配だ。とはいえ、
「じゃあ、セックス嫌いもその気にさせるスーパーテクでもお持ちか?」
なんて聞かれても「ん?んふ〜」なんて曖昧な笑みを浮かべてお茶を濁すのがいいところだろう。
だいたい20代半ばのセックスはなんだか少しだらしがない。香ってきそうなダンディズムも無ければ、イキオイもいまいちだ。感傷を感じるほどアレでもないし、いろいろ中途半端に心得てるからどれもこれもがピンと来ないのだ。
しかし、この微妙なバランスの時期こそイキオイやらセンチメントがダンディズムに移行する重要な通過点であるとは思う。いや通過点に違いない。
のに、だのに、今まさにあたしの直面している状況は一体どうだ! きー!!なんてヒステリックに叫びたくなっちゃうくらいの様相を呈している。なにしろ、
感情的になると頭が痛くなる(イヤになるくらい)。
興奮すると頭が痛くなる(それどころじゃないくらい)。
運動すると頭が痛くなる(動けないくらい)。
の三拍子。なんというか、カンペキにそのものズバリ。これではまるで自分発セックス禁止令みたいなモノだ。ショックで頭がくらくらしてきた。今書いているこれが、途中から遺書になりそうなくらいである。
あたしの友人群総称であるところのフクヤケイスケの一人(35才男性)なぞは、空港で性別を聞かれた際、苦笑混じりに
「twice a week」
なんて答えたそうだが、
あたしが80まで生きるとして。
EDとかにならないとして。
死ぬまでやり続けるとして。
twice a weekだとしても、一年で104回、80まで残り5720回。なんだかちょっと生々しいがその5720回がシャボンの様に儚く消えしまいそうなわけで、だいたい週に二回で済むモノかよ!なんて語気荒く語りそうなあたしとしては、なんとかして現状を打開するべくお医者に行くことを決断したワケなのである。そう言うワケなのである。
つづく。
自分を正当化するわけではないが、25の若者が
「あたくしセックスキライなの」
では日本の未来が心配だ。とはいえ、
「じゃあ、セックス嫌いもその気にさせるスーパーテクでもお持ちか?」
なんて聞かれても「ん?んふ〜」なんて曖昧な笑みを浮かべてお茶を濁すのがいいところだろう。
だいたい20代半ばのセックスはなんだか少しだらしがない。香ってきそうなダンディズムも無ければ、イキオイもいまいちだ。感傷を感じるほどアレでもないし、いろいろ中途半端に心得てるからどれもこれもがピンと来ないのだ。
しかし、この微妙なバランスの時期こそイキオイやらセンチメントがダンディズムに移行する重要な通過点であるとは思う。いや通過点に違いない。
のに、だのに、今まさにあたしの直面している状況は一体どうだ! きー!!なんてヒステリックに叫びたくなっちゃうくらいの様相を呈している。なにしろ、
感情的になると頭が痛くなる(イヤになるくらい)。
興奮すると頭が痛くなる(それどころじゃないくらい)。
運動すると頭が痛くなる(動けないくらい)。
の三拍子。なんというか、カンペキにそのものズバリ。これではまるで自分発セックス禁止令みたいなモノだ。ショックで頭がくらくらしてきた。今書いているこれが、途中から遺書になりそうなくらいである。
あたしの友人群総称であるところのフクヤケイスケの一人(35才男性)なぞは、空港で性別を聞かれた際、苦笑混じりに
「twice a week」
なんて答えたそうだが、
あたしが80まで生きるとして。
EDとかにならないとして。
死ぬまでやり続けるとして。
twice a weekだとしても、一年で104回、80まで残り5720回。なんだかちょっと生々しいがその5720回がシャボンの様に儚く消えしまいそうなわけで、だいたい週に二回で済むモノかよ!なんて語気荒く語りそうなあたしとしては、なんとかして現状を打開するべくお医者に行くことを決断したワケなのである。そう言うワケなのである。
つづく。
リコピンを喰らえ!
2001年9月1日 最近頭痛がヒドイのだ。しかもかなり。なり立ての頃は、昔からえらい物書きさんは頭痛に悩まされてきたことだしあたしにもついにその時が!と感動したモノだが、あまりにもヒドイので何人かの友人に相談してみた。しかし、そんなときには大抵、
「じゃぁどれくらいよ?」
なんて聞かれてしまう。しかし、どれくらいだなんて聞かれても頭痛には単位も基準もないのだから答えようがない。たとえムリして答えたとしても、
「巨大な万力でキューキュー頭を締め付けられるカンジ?」
とかになってしまうし、この「強大な万力」というモノも相当な曲者だとあたしは思うのだ。なにしろあたしが思う巨大な万力と友人が思う巨大な万力はきっと違いモノに違いないのだし。結局のところ痛みやらそんなモノはごくごく個人的なモノなので「筆舌に尽くしがたい」なんていうたいそうな言葉でお茶を濁すことになる。
ところで、この頭痛なのだがちょこっと観察していたら面白いことに気がついた。どうも激しい痛み、つまり万力でキューキューが襲ってくるのは感情的になったり興奮していたりと、俗に言う頭に血が上ったときなのだ。なので普段は大して痛くない。
なかなかの観察眼ではないか!! 頭痛に悩みだして一日、二日の間にこんな法則を見つけてしまうのだから自分に恐れ入る。逆をいえばこの一日、二日の間に如何に感情的になったり興奮したかということなのだが、そんなことにはあえて触れるまい。
とにもかくにも、あたしは自分も恐れ入るほどの観察眼やら洞察力で頭痛の法則を見つけだしたのだ。そしてすぐさま対策を講じるべく友人に相談してみた。すると彼は、
「血糖値が高いんじゃないの?」
とのこと。なんとも素っ気ないお答えではないか。しかし、最近の食生活を省みるとあながち間違ってるとも言い切れない。さらに彼は、
「病院にでも行って検査してきてみ」
とも仰った。しかし本日は土曜日。お医者は閉まっている。
仕方がないので、なにか急激に血糖値を下げる方法は無いモノかと思案した結果、血糖値を直接下げるワケではないが、血がサラサラになるという魔法の野菜を見つけるに至った。
その名も「トマト」。昔テレビかなにかで見たような気がする。トマトに含まれる「リコピン」という成分は、癌や成人病を予防するだけでなく、血をキレイにしてくれるというのだ。なんとも有り難いことではないか。リコピンなんてかわいらしい名前のクセに癌や成人病を予防した上に血までキレイにしてくれるなんて! そりゃぁドラキュラ殿も血液の変わりにトマトジュースを飲むワケだ。
早速、あたしもドラキュラ様にならってコンビニでカゴメトマトジュース500mlを二本購入してきた。パッケージにはトマト8個分なんて心強いキャッチコピーまでプリントしてある。二本で16個分。嬉しくなってしまうではないか。これだけでもう頭痛が治った気分だ。
自室でパキリという音と共にキャップを外し、一気にトマトジュースをあおるあたし。少々ドロリとしカンジが「オレは普通のジュースとひと味違うぜ」と主張しているようでとても効きそうなのだ。
そして一気に一本目を空け、二本目は味わうようにして飲んでいく。ココロの中では
「今でトマト9.5個分くらいかなー?」
なんて考えながら。見事16個分飲み終わった頃にはあたしの身体も医者いらずになっているに違いない。「トマトが赤くなれば医者が青くなる」なんてことわざもあるくらいなのだから、頭痛なんてチョチョイのチョイである。
が、あたしは今これを書きながら4本目のトマトジュースを飲み終えたところだ。相変わらず頭痛が治る様子はなくトマト合計だけが増えていっている。
現在、合計32個。月曜日になったら医者に行こうと考えてはいるが、今抱えてる頭痛よりもお医者の前で自慢できるくらいのトマト合計を目指そう!なんて考えに落ち着いているあたしも、なかなかステキではないか。
「じゃぁどれくらいよ?」
なんて聞かれてしまう。しかし、どれくらいだなんて聞かれても頭痛には単位も基準もないのだから答えようがない。たとえムリして答えたとしても、
「巨大な万力でキューキュー頭を締め付けられるカンジ?」
とかになってしまうし、この「強大な万力」というモノも相当な曲者だとあたしは思うのだ。なにしろあたしが思う巨大な万力と友人が思う巨大な万力はきっと違いモノに違いないのだし。結局のところ痛みやらそんなモノはごくごく個人的なモノなので「筆舌に尽くしがたい」なんていうたいそうな言葉でお茶を濁すことになる。
ところで、この頭痛なのだがちょこっと観察していたら面白いことに気がついた。どうも激しい痛み、つまり万力でキューキューが襲ってくるのは感情的になったり興奮していたりと、俗に言う頭に血が上ったときなのだ。なので普段は大して痛くない。
なかなかの観察眼ではないか!! 頭痛に悩みだして一日、二日の間にこんな法則を見つけてしまうのだから自分に恐れ入る。逆をいえばこの一日、二日の間に如何に感情的になったり興奮したかということなのだが、そんなことにはあえて触れるまい。
とにもかくにも、あたしは自分も恐れ入るほどの観察眼やら洞察力で頭痛の法則を見つけだしたのだ。そしてすぐさま対策を講じるべく友人に相談してみた。すると彼は、
「血糖値が高いんじゃないの?」
とのこと。なんとも素っ気ないお答えではないか。しかし、最近の食生活を省みるとあながち間違ってるとも言い切れない。さらに彼は、
「病院にでも行って検査してきてみ」
とも仰った。しかし本日は土曜日。お医者は閉まっている。
仕方がないので、なにか急激に血糖値を下げる方法は無いモノかと思案した結果、血糖値を直接下げるワケではないが、血がサラサラになるという魔法の野菜を見つけるに至った。
その名も「トマト」。昔テレビかなにかで見たような気がする。トマトに含まれる「リコピン」という成分は、癌や成人病を予防するだけでなく、血をキレイにしてくれるというのだ。なんとも有り難いことではないか。リコピンなんてかわいらしい名前のクセに癌や成人病を予防した上に血までキレイにしてくれるなんて! そりゃぁドラキュラ殿も血液の変わりにトマトジュースを飲むワケだ。
早速、あたしもドラキュラ様にならってコンビニでカゴメトマトジュース500mlを二本購入してきた。パッケージにはトマト8個分なんて心強いキャッチコピーまでプリントしてある。二本で16個分。嬉しくなってしまうではないか。これだけでもう頭痛が治った気分だ。
自室でパキリという音と共にキャップを外し、一気にトマトジュースをあおるあたし。少々ドロリとしカンジが「オレは普通のジュースとひと味違うぜ」と主張しているようでとても効きそうなのだ。
そして一気に一本目を空け、二本目は味わうようにして飲んでいく。ココロの中では
「今でトマト9.5個分くらいかなー?」
なんて考えながら。見事16個分飲み終わった頃にはあたしの身体も医者いらずになっているに違いない。「トマトが赤くなれば医者が青くなる」なんてことわざもあるくらいなのだから、頭痛なんてチョチョイのチョイである。
が、あたしは今これを書きながら4本目のトマトジュースを飲み終えたところだ。相変わらず頭痛が治る様子はなくトマト合計だけが増えていっている。
現在、合計32個。月曜日になったら医者に行こうと考えてはいるが、今抱えてる頭痛よりもお医者の前で自慢できるくらいのトマト合計を目指そう!なんて考えに落ち着いているあたしも、なかなかステキではないか。
大会の心意気
2001年8月25日 8月も後半。暦の上ではそろそろ夏が終わる。暑かったり寒かったり世界陸上だったり世界水泳だったり。今年の夏はイロイロあった。岡山から友人もやってきた。件のモモタロウなのだが、ドライブの道すがらこんなコトを言っていた。
「昔、うちの寮の旅行大会でさー」
なかなか趣深い発言ではないか。「旅行大会」とはそうそう聞く言葉ではない。むしろ旅行に「大会」がつくのかどうかも疑問だ。しかし、当の発言主はさも当然の顔をしている。放っておけば他にも大会がついたものが出てきたことだろう。「イベントはすなわち大会」くらいのコトはサラリと言ってのけそうなモノだ。
ところで、あたしも齢25。気がつけば昨今「大会」というコトバからずいぶん疎遠になったモノだと思う。最後に大会に参加したのはいつのことか。元来群れてなにかを競うということがほとんどなかったものだから、無理矢理競わされた中学時代あたりが最後ではないだろうか。その名も全国中学校野球選手権大会。こうして書くと長い名前が大変権威的でイヤなカンジだ。
そして、調べてみれば世界陸上や世界水泳も「世界陸上競技選手権大会」「世界水泳選手権大会」。ちゃんと長い名前をお持ちで、やはりイヤなカンジなのだが、TVCMでは「世界陸上」「世界水泳」とばかり聞こえて「選手権大会」はどこかへ消えてしまっていたようだ。やはりこの「イヤなカンジ」があるので「選手権大会」は闇に葬られたのだろうか。明るくハツラツ・サワヤカで且つ楽しさを求めるならば権威的でイヤなカンジの「選手権大会」は不要なのだろうか。
旅行大会の一件でも件の岡山の友人は「寮の気のおけない方々と参る旅行は戦いそのものなので『大会』は外せない」と言っていた。なるほど。「大会」が戦い競う意志の現れであれば「世界陸上」なんて腑抜けた省略をしたマスコミはきっとなにもわかってないに違いない。「世界」や「陸上」を外しても「選手権大会」は残すべきなのだ。テレビを付けてトラックが映れば陸上、プールが映れば水泳。TVCMでは「選手権大会!選手権大会!」と連呼。旅行会社にもその心意気を汲んで観光旅行に「大会」付きでCMをうっていただきたい。「大会」で溢れた日本はきっとやる気とイキオイに充ちたすばらしい国になるに違いないのだ。
もっとも、「慰安旅行大会」などはかなり考え物だと思うのだが。
「昔、うちの寮の旅行大会でさー」
なかなか趣深い発言ではないか。「旅行大会」とはそうそう聞く言葉ではない。むしろ旅行に「大会」がつくのかどうかも疑問だ。しかし、当の発言主はさも当然の顔をしている。放っておけば他にも大会がついたものが出てきたことだろう。「イベントはすなわち大会」くらいのコトはサラリと言ってのけそうなモノだ。
ところで、あたしも齢25。気がつけば昨今「大会」というコトバからずいぶん疎遠になったモノだと思う。最後に大会に参加したのはいつのことか。元来群れてなにかを競うということがほとんどなかったものだから、無理矢理競わされた中学時代あたりが最後ではないだろうか。その名も全国中学校野球選手権大会。こうして書くと長い名前が大変権威的でイヤなカンジだ。
そして、調べてみれば世界陸上や世界水泳も「世界陸上競技選手権大会」「世界水泳選手権大会」。ちゃんと長い名前をお持ちで、やはりイヤなカンジなのだが、TVCMでは「世界陸上」「世界水泳」とばかり聞こえて「選手権大会」はどこかへ消えてしまっていたようだ。やはりこの「イヤなカンジ」があるので「選手権大会」は闇に葬られたのだろうか。明るくハツラツ・サワヤカで且つ楽しさを求めるならば権威的でイヤなカンジの「選手権大会」は不要なのだろうか。
旅行大会の一件でも件の岡山の友人は「寮の気のおけない方々と参る旅行は戦いそのものなので『大会』は外せない」と言っていた。なるほど。「大会」が戦い競う意志の現れであれば「世界陸上」なんて腑抜けた省略をしたマスコミはきっとなにもわかってないに違いない。「世界」や「陸上」を外しても「選手権大会」は残すべきなのだ。テレビを付けてトラックが映れば陸上、プールが映れば水泳。TVCMでは「選手権大会!選手権大会!」と連呼。旅行会社にもその心意気を汲んで観光旅行に「大会」付きでCMをうっていただきたい。「大会」で溢れた日本はきっとやる気とイキオイに充ちたすばらしい国になるに違いないのだ。
もっとも、「慰安旅行大会」などはかなり考え物だと思うのだが。
1と24
2001年8月20日 24時間テレビを見ていたのだが、主旨がよくわからなかった。多数の人間が同じ事を言うだろうがあたしもそう思ったのだからしょうがない。チャリティーで募金を集めるのは立派だが、研ナオコが走る意味や芸能人をたくさん呼んで握手する意味も、ましてやガリガリになった徳光和夫の意味も分からない。
昔々の24時間テレビは○○に学校が建てたいから募金を集めると言うように主旨のハッキリした番組だったのに、欽ちゃんが司会じゃなくなってからお金集めの番組になったような気がする。今はあの大量に集まったお金をユニセフにでも寄付するのだろうが、そして良いように使って下さいと言うのだろうが、しかし、研ナオコが走ったり、感動ドラマを流したりと、あれではまるでカンドウの押し売りというか押し付けだ。
押しつけられたカンドウほど白々しいモノはない。だいたい、みのもんたのウソっぽい司会もガリガリの徳さんも、家族紹介やってくる芸能人も「家族ってなに?」っていうテーマもすべてが納得できない。
しかし、一番納得できないのはさっき書いたコラムがすべて消えたことだ。そのコトと24時間テレビバッシングとはなんの関係もないと思いたいが、この怒りが許せるくらい優しいキモチになる24時間テレビってヤツを今後期待したい。
昔々の24時間テレビは○○に学校が建てたいから募金を集めると言うように主旨のハッキリした番組だったのに、欽ちゃんが司会じゃなくなってからお金集めの番組になったような気がする。今はあの大量に集まったお金をユニセフにでも寄付するのだろうが、そして良いように使って下さいと言うのだろうが、しかし、研ナオコが走ったり、感動ドラマを流したりと、あれではまるでカンドウの押し売りというか押し付けだ。
押しつけられたカンドウほど白々しいモノはない。だいたい、みのもんたのウソっぽい司会もガリガリの徳さんも、家族紹介やってくる芸能人も「家族ってなに?」っていうテーマもすべてが納得できない。
しかし、一番納得できないのはさっき書いたコラムがすべて消えたことだ。そのコトと24時間テレビバッシングとはなんの関係もないと思いたいが、この怒りが許せるくらい優しいキモチになる24時間テレビってヤツを今後期待したい。
Mr.吹き替え
2001年8月14日 広川太一郎といえば吹き替えと犬ホームズ。広川節が唸りをあげる「吹き替えの帝王」だ。もう一回言うが「吹き替えの帝王」だ。でもコレはあたしではなくTVBROS.が言ったこと。責任はとれない。
そんなTVBROS.だが、TVガイドなどと違いマイナー層狙い撃ちの読み物や特集がいかにもなカンジで、あたしとしても立ち読みに余念がない。今回の広川太一郎特集も、その紙面からマジョリティーなど眼中に無い!という主張がありありと感じ取れ、好感と苦笑いを禁じ得ないのである。
本日もコンビニに立ち寄ったついでにTVBROS.を読ませていただいた。番組覧とかではなく、その広川太一郎特集をなのだが、あたしの横でも同じものを手に取った二人組がいた。一人は30半ばのオトコ。もう一人は20代前半だろうか。30半ばの方が表紙に書かれた「広川太一郎」の文字をしきりに懐かしがっている。
「おー、広川太一郎だよ。まだ現役でがんばってるのかー」
そんなことを言って感心していた。旧友の無事を確認しているかのような口調でとなりの20代前半と話している。
しかし、よくよく聞いてみると話しているのは30代半ばで20代前半は専ら聞き役。会話の内容もこうだ。
「オマエの年じゃ広川太一郎は知らないよなー」
「はい」
「オマエの年じゃ広川太一郎は知らないもんなー」
「ええ」
どちらもこれ以上のコトは話していない。30代半ばは相手が広川太一郎を知らないというコトを話し、20代前半がそれに肯くだけだ。二人とも同じロゴの入った作業服を着ていたので同じ会社の人間だと思われるが、果たして二人の間にコミュニケーションは成立しているのか?何を思って彼らはその会話を続けているのだろうか?
もし、ソコに広川太一郎がいたならば二人のココロの中をアッテレーションしていただきたい、とかなんとか言っちゃったりしちゃったりして。
そんなTVBROS.だが、TVガイドなどと違いマイナー層狙い撃ちの読み物や特集がいかにもなカンジで、あたしとしても立ち読みに余念がない。今回の広川太一郎特集も、その紙面からマジョリティーなど眼中に無い!という主張がありありと感じ取れ、好感と苦笑いを禁じ得ないのである。
本日もコンビニに立ち寄ったついでにTVBROS.を読ませていただいた。番組覧とかではなく、その広川太一郎特集をなのだが、あたしの横でも同じものを手に取った二人組がいた。一人は30半ばのオトコ。もう一人は20代前半だろうか。30半ばの方が表紙に書かれた「広川太一郎」の文字をしきりに懐かしがっている。
「おー、広川太一郎だよ。まだ現役でがんばってるのかー」
そんなことを言って感心していた。旧友の無事を確認しているかのような口調でとなりの20代前半と話している。
しかし、よくよく聞いてみると話しているのは30代半ばで20代前半は専ら聞き役。会話の内容もこうだ。
「オマエの年じゃ広川太一郎は知らないよなー」
「はい」
「オマエの年じゃ広川太一郎は知らないもんなー」
「ええ」
どちらもこれ以上のコトは話していない。30代半ばは相手が広川太一郎を知らないというコトを話し、20代前半がそれに肯くだけだ。二人とも同じロゴの入った作業服を着ていたので同じ会社の人間だと思われるが、果たして二人の間にコミュニケーションは成立しているのか?何を思って彼らはその会話を続けているのだろうか?
もし、ソコに広川太一郎がいたならば二人のココロの中をアッテレーションしていただきたい、とかなんとか言っちゃったりしちゃったりして。
ハローテディ!
2001年8月9日 最近の世の中は物騒で仕方がない。ソコココで刺したの押し入ったの燃えたの触ったのと、ワイドショーもネタに困らないだろう。
かく言うあたしもそんな世相にのって、刺したり(中略)触ったりはしないが夜に出歩くのは控えることにしている。しかしそれにも限界がある。例えば夜中突然腹が減ったり、タバコが切れたり、包丁を構えたくなったりしたら、そんな衝動に勝てるわけがない!ので、極力控えるようにしている夜の散歩も、たいていの場合は賛成多数で可決されてしまい、100円を数枚を握りしめたあたしが意気揚々と薄暗い通りに出ていくことになるのだ。
住民が寝静まった夜の商店街で小銭をジャラジャラいわせながらサンダル履きで歩く不審者。それがあたしと言うワケだ。もっとも幸い今だ犯人扱いされたことはないし、ファンキーな方にお会いしたことは数回あれど、身に危険が及ぶことはなかった。
しかし、それがあまりにも運のいいことだったということを先日痛感した。別に目の前で刃物を振りかざされたとか、発砲許可の下りた警察が追ってきたとかではなくて、ただ道端でクマのぬいぐるみを見つけただけなのだが、そのクマさん、ゴミ袋からひょっこり顔だけ出してるカタチで、電柱脇のゴミの収集場所に放ってあったのだ。
所在なげに中空を見るつぶらな瞳があまりにも愛らしかったので近寄って、よくよく見たのだが、見れば見るほどカワイらしい。捨てるのが惜しいくらいだ。なので思わず耳を持ってヒョイと持ち上げてみたところ、ポコッとクビだけが取れた。
ヒッ!なんて引きつった声は出さなかったが、あまりにもあまりな光景に声を失ったのは事実で、静かにクマクビさんをゴミ袋の上に戻して足早に立ち去ろうとしたのだが、こんな時に限って人の視線を敏感に感じてしまう。どうにも上から見られてるような気がしてならない。誰かが近くの二階の窓からあたしのサマを見てるような気がしてならないのだ。
見るべきではないのだろうが気になる。最大の妥協案として半分だけ見てみようと。薄目にしても片目閉じても意味はないので、視線を半分だけ上げたら、クビのないクマの胴体とそれを持ってる手が見えた。クビなしのクマが小刻みに左右に揺れていたのだ。
ハッキリ言って迷惑なのだ。夏なので、ここのところ暑かったり涼しかったりと落ち着かなかったから多少のことは大目に見るが、しかし!しかし、そういう類はカンベンなのだ。夜の街でサイコさんになんか会いたくないのである。
部屋に帰り汗で湿ったTシャツを脱ぎながら、夜の外出は控えようとホンキで思った、或る夜の出来事だった。
かく言うあたしもそんな世相にのって、刺したり(中略)触ったりはしないが夜に出歩くのは控えることにしている。しかしそれにも限界がある。例えば夜中突然腹が減ったり、タバコが切れたり、包丁を構えたくなったりしたら、そんな衝動に勝てるわけがない!ので、極力控えるようにしている夜の散歩も、たいていの場合は賛成多数で可決されてしまい、100円を数枚を握りしめたあたしが意気揚々と薄暗い通りに出ていくことになるのだ。
住民が寝静まった夜の商店街で小銭をジャラジャラいわせながらサンダル履きで歩く不審者。それがあたしと言うワケだ。もっとも幸い今だ犯人扱いされたことはないし、ファンキーな方にお会いしたことは数回あれど、身に危険が及ぶことはなかった。
しかし、それがあまりにも運のいいことだったということを先日痛感した。別に目の前で刃物を振りかざされたとか、発砲許可の下りた警察が追ってきたとかではなくて、ただ道端でクマのぬいぐるみを見つけただけなのだが、そのクマさん、ゴミ袋からひょっこり顔だけ出してるカタチで、電柱脇のゴミの収集場所に放ってあったのだ。
所在なげに中空を見るつぶらな瞳があまりにも愛らしかったので近寄って、よくよく見たのだが、見れば見るほどカワイらしい。捨てるのが惜しいくらいだ。なので思わず耳を持ってヒョイと持ち上げてみたところ、ポコッとクビだけが取れた。
ヒッ!なんて引きつった声は出さなかったが、あまりにもあまりな光景に声を失ったのは事実で、静かにクマクビさんをゴミ袋の上に戻して足早に立ち去ろうとしたのだが、こんな時に限って人の視線を敏感に感じてしまう。どうにも上から見られてるような気がしてならない。誰かが近くの二階の窓からあたしのサマを見てるような気がしてならないのだ。
見るべきではないのだろうが気になる。最大の妥協案として半分だけ見てみようと。薄目にしても片目閉じても意味はないので、視線を半分だけ上げたら、クビのないクマの胴体とそれを持ってる手が見えた。クビなしのクマが小刻みに左右に揺れていたのだ。
ハッキリ言って迷惑なのだ。夏なので、ここのところ暑かったり涼しかったりと落ち着かなかったから多少のことは大目に見るが、しかし!しかし、そういう類はカンベンなのだ。夜の街でサイコさんになんか会いたくないのである。
部屋に帰り汗で湿ったTシャツを脱ぎながら、夜の外出は控えようとホンキで思った、或る夜の出来事だった。
キャッチコピー
2001年7月31日 世のキャッチコピーというものは大抵真新しい語感とか、耳障りのよいフレーズとか、そんなばかりが目に付いてしまって、その辺がキャッチーなのだろうが、そのあたりにキャッチされるのだろうが、ふと気付いたときのダマされている感と言ったら、もうたいへんなモノだ。
口先で巧いことヤラれた。次回こそは!そう思うあたしの次回も大抵後悔が待っているのだから、ウカツにテレコンワールドなんか見られたモンじゃない。なんでも落ちる洗剤と洗剤いらずのスポンジ。そんなモノが両方手元に有って、あたしに一体どうしろと言うのか。
洗濯屋でもはじめるわけじゃなし。
そんなワケで巧い具合のキャッチコピーや宣伝文句に踊らされる一消費者は、今日もその文句に巧いことやられていた。なにしろ、オカムラ製作所の掲げるキャッチコピーは凄いのだから、あたしがクラクラ来ても仕方ない。そいつはもはや正拳突き。世の摂理。なべての正論者が行き着く究極の妥協点なのではないかと思われ。そしてモンダイのキャッチコピーがこれ。
『よい品は結局おトクなのです。』
まったくだ。まったくその通り。多少値段がはろうとも、よい品のほうが結局おトクなのだー。
オカムラ製作所製のイスでクルクルと回りながら思う。そう思う。
口先で巧いことヤラれた。次回こそは!そう思うあたしの次回も大抵後悔が待っているのだから、ウカツにテレコンワールドなんか見られたモンじゃない。なんでも落ちる洗剤と洗剤いらずのスポンジ。そんなモノが両方手元に有って、あたしに一体どうしろと言うのか。
洗濯屋でもはじめるわけじゃなし。
そんなワケで巧い具合のキャッチコピーや宣伝文句に踊らされる一消費者は、今日もその文句に巧いことやられていた。なにしろ、オカムラ製作所の掲げるキャッチコピーは凄いのだから、あたしがクラクラ来ても仕方ない。そいつはもはや正拳突き。世の摂理。なべての正論者が行き着く究極の妥協点なのではないかと思われ。そしてモンダイのキャッチコピーがこれ。
『よい品は結局おトクなのです。』
まったくだ。まったくその通り。多少値段がはろうとも、よい品のほうが結局おトクなのだー。
オカムラ製作所製のイスでクルクルと回りながら思う。そう思う。
ラヴについて
2001年7月29日 例えば深夜にかかってきた電話の相手が名前も告げずに愛について語りだしたら、それは間違いなくトワイライトゾーンの入り口に立たされていると思って間違いない。特に名前を告げていたとしても、それが知らない誰かだったらやはり入り口に立っているのだろう。
だが、それが知っている人間だったら、旧知の友人であったなら、その彼や彼女との付き合いを考え直すか何か手段を講じるべきだ。
特に相手が結婚間近や新婚なら尚質が悪い。聞きたくもない「愛について」を彼や彼女は躍起になって話しだし、コチラの事情なんてお構いなしで捲し立ててくる。
「桜井、オマエもそろそろ考えたらどうよ?」
「桜井くん彼女とかいないの?」
電話口で代わる代わるに詰問と「愛について」を繰り返すウエダ夫妻(実名)。深夜2時。楽しい一日も終わり、これからゆるりと時間を過ごそうという時に、彼らは夫婦間のセックスまで語り出す露出狂のヘンタイ夫婦だ。しかし、彼らに言わせればソレもコレも「愛の確認作業」。すべては二人の弛みない愛のために、「桜井くんちゃんとしなさい」だそうなのだ。
残念、あたしはちゃんとしている。彼らが言う愛についてだって別に考えない訳じゃない。クーラーの効かない部屋で、むしろより純粋に「ラヴについて」。密やかに考えているのだ。
じっくりひっそりこっそりとラブについて。電話口から聞こえてくる非常識な友人のお節介を遠くに、あたたかくなった頭で考えてたいら鼻血が出た。つまりそういうラヴ?
密やかなあたり胡散臭さは否めないが、むしろ鼻血を出すだけ可愛いモンじゃないか!
だが、それが知っている人間だったら、旧知の友人であったなら、その彼や彼女との付き合いを考え直すか何か手段を講じるべきだ。
特に相手が結婚間近や新婚なら尚質が悪い。聞きたくもない「愛について」を彼や彼女は躍起になって話しだし、コチラの事情なんてお構いなしで捲し立ててくる。
「桜井、オマエもそろそろ考えたらどうよ?」
「桜井くん彼女とかいないの?」
電話口で代わる代わるに詰問と「愛について」を繰り返すウエダ夫妻(実名)。深夜2時。楽しい一日も終わり、これからゆるりと時間を過ごそうという時に、彼らは夫婦間のセックスまで語り出す露出狂のヘンタイ夫婦だ。しかし、彼らに言わせればソレもコレも「愛の確認作業」。すべては二人の弛みない愛のために、「桜井くんちゃんとしなさい」だそうなのだ。
残念、あたしはちゃんとしている。彼らが言う愛についてだって別に考えない訳じゃない。クーラーの効かない部屋で、むしろより純粋に「ラヴについて」。密やかに考えているのだ。
じっくりひっそりこっそりとラブについて。電話口から聞こえてくる非常識な友人のお節介を遠くに、あたたかくなった頭で考えてたいら鼻血が出た。つまりそういうラヴ?
密やかなあたり胡散臭さは否めないが、むしろ鼻血を出すだけ可愛いモンじゃないか!
夜、サンダルで
2001年7月22日 深夜の商店街はとてもステキだなと思う。ネオンが落ち、薄暗い街灯の灯りの中、遠くから聞こえる川のせせらぎや虫除けの青電灯が焼ける音を耳に、ぺったらぺったらサンダルを鳴らして歩くのだ。そうすればまるで世界が自分のモノのような、そんな錯覚すら覚えてしまう。夜空に浮かぶ月も手伝ってとてもとてもいい気分になってしまう。
しかし、世界はそんな簡単に手中に出来るほど甘くない。街灯の下を見れば目も虚ろな若者が、居酒屋のゴミからは生臭いニオイとゴキブリが。あたし以外にも夜を我が物顔で謳歌する方々はいらっしゃるのだ。
それは例えばあたしの目の前に出てきたオンナでさえも、きっと夜を自分のモノだと思っていたに違いない。髪を振り乱して、ヒールを片手に素足で歩いている彼女。花柄のワンピースは、かたっぽの肩紐が落ちて胸元が大きくはだけていた。
ワケアリだろうか?もしくはあらての痴女?彼女はあたしの前に出ると、立ち止まって「ぎゃー」と叫んだ。少しだけ非難するような眼で見たあと、肩紐を直して、しっかりとした足取りであたしの前を歩いていく。
街灯に照らされ、夜の商店街を行く彼女とあたし。若者とゴキブリと生ゴミのニオイ。川のせせらぎと青電灯とあたしのドキドキ。月明かりよりも明るい濁った街灯夜が照らす夜の商店街は、ステキだと思うのだ。
しかし、世界はそんな簡単に手中に出来るほど甘くない。街灯の下を見れば目も虚ろな若者が、居酒屋のゴミからは生臭いニオイとゴキブリが。あたし以外にも夜を我が物顔で謳歌する方々はいらっしゃるのだ。
それは例えばあたしの目の前に出てきたオンナでさえも、きっと夜を自分のモノだと思っていたに違いない。髪を振り乱して、ヒールを片手に素足で歩いている彼女。花柄のワンピースは、かたっぽの肩紐が落ちて胸元が大きくはだけていた。
ワケアリだろうか?もしくはあらての痴女?彼女はあたしの前に出ると、立ち止まって「ぎゃー」と叫んだ。少しだけ非難するような眼で見たあと、肩紐を直して、しっかりとした足取りであたしの前を歩いていく。
街灯に照らされ、夜の商店街を行く彼女とあたし。若者とゴキブリと生ゴミのニオイ。川のせせらぎと青電灯とあたしのドキドキ。月明かりよりも明るい濁った街灯夜が照らす夜の商店街は、ステキだと思うのだ。
究極のエコカー
2001年7月19日 相変わらず暑いが、雨は降ったり降らなかったり。ダムの貯水量も80%だったり、70%だったり。
昨日今日の雨くらいじゃ都内の水不足は解消されないという一言もなかなか死亡宣告みたいでステキだな。と思いつつ日々過ごしている。
そんな暑い昨今、水素エンジンで走る車が開発されたらしい。実用化まであと2年。なんでも排気ガスを一切出さない、地球議定書クソ喰えな代物らしい。もっとも、地球にやさしいのならいいんじゃない?と思わなくもないのだ。
しかし、そのエコ車にもガソリンエンジン搭載車と同様のマフラーが付いている。なんで?と思うところだが、ファッションではないらしい。ソコからは排気ガスではなく、水素の反応で出来た「水」を出すのだそうだ。
たいへん暑い昨今。水不足が心配される中、水を垂らしながら走る車。それでも究極のエコカーだ。
昨日今日の雨くらいじゃ都内の水不足は解消されないという一言もなかなか死亡宣告みたいでステキだな。と思いつつ日々過ごしている。
そんな暑い昨今、水素エンジンで走る車が開発されたらしい。実用化まであと2年。なんでも排気ガスを一切出さない、地球議定書クソ喰えな代物らしい。もっとも、地球にやさしいのならいいんじゃない?と思わなくもないのだ。
しかし、そのエコ車にもガソリンエンジン搭載車と同様のマフラーが付いている。なんで?と思うところだが、ファッションではないらしい。ソコからは排気ガスではなく、水素の反応で出来た「水」を出すのだそうだ。
たいへん暑い昨今。水不足が心配される中、水を垂らしながら走る車。それでも究極のエコカーだ。
渋谷で12時
2001年7月16日 夏が暑いのは当たり前だと思っていた。暑いからこそ海で泳いでキモチイイのだ。暑いからこそ涼みに行くのだろう。なんでも最近の調査結果では、海に向かって叫びたい言葉ナンバー1は「バカヤロー」なのだそうだ。それもきっと暑いからだろう。
が、しかし。それにしたって今年は暑過ぎる。昼夜逆転族のあたしにとっては、もはや命取りのレベルだ。実際に命を取られた人もいるらしいし、太陽には悪いが昼間のオマエは見たくない。
もっとも夕方あたり、太陽の光が弱まってからだと話は別だ。タバコを買いに出たり、バイトに行ったりと以外と外に出る機会も多い。光が弱まっているおかげで何かと過ごしやすいのだ。
とにもかくにも、そんなあたしにとって昼日中、12時に待ち合わせというのは、たいへんにアレなことなのだ。本音を言えば極力避けたかった。が、それも出来ない事情もあり、同じ昼12時の太陽の下であれば、相手もあたしも条件はイーブンである。どちらかがより長く日に焼かれるということもあるまいと了解し、あたしは待ち合わせに望んだ。
そして、昼の12時。やはりというか当然というべきか太陽は眩しかった。それ以上に暑かった。「太陽光線」なんて言葉もあるがあながちウソではないと思ってしまうほど。いや、真実なのだが。
太陽のヤツは光線を出している。種類も赤外線、可視光線、紫外線、放射線、電波と、可視・不可視入り乱れて光線のオンパレードだ。しかも太陽の表面温度は6000度。そして、太陽を包みこむコロナの温度は約1000000度と言うではないか。
暑いハズである。太陽までの距離とかオゾン層とか大気圏とか。そういうの入れたって100万度。ヤツは加減を知らないのだ。
今日は渋谷で12時。ハチ公口の壁に彫られたレリーフを背にして見上げた空には今日も太陽が輝いていた。
まったく、オマエにこそバカヤローと叫んでやりたいくらいなのだ。
が、しかし。それにしたって今年は暑過ぎる。昼夜逆転族のあたしにとっては、もはや命取りのレベルだ。実際に命を取られた人もいるらしいし、太陽には悪いが昼間のオマエは見たくない。
もっとも夕方あたり、太陽の光が弱まってからだと話は別だ。タバコを買いに出たり、バイトに行ったりと以外と外に出る機会も多い。光が弱まっているおかげで何かと過ごしやすいのだ。
とにもかくにも、そんなあたしにとって昼日中、12時に待ち合わせというのは、たいへんにアレなことなのだ。本音を言えば極力避けたかった。が、それも出来ない事情もあり、同じ昼12時の太陽の下であれば、相手もあたしも条件はイーブンである。どちらかがより長く日に焼かれるということもあるまいと了解し、あたしは待ち合わせに望んだ。
そして、昼の12時。やはりというか当然というべきか太陽は眩しかった。それ以上に暑かった。「太陽光線」なんて言葉もあるがあながちウソではないと思ってしまうほど。いや、真実なのだが。
太陽のヤツは光線を出している。種類も赤外線、可視光線、紫外線、放射線、電波と、可視・不可視入り乱れて光線のオンパレードだ。しかも太陽の表面温度は6000度。そして、太陽を包みこむコロナの温度は約1000000度と言うではないか。
暑いハズである。太陽までの距離とかオゾン層とか大気圏とか。そういうの入れたって100万度。ヤツは加減を知らないのだ。
今日は渋谷で12時。ハチ公口の壁に彫られたレリーフを背にして見上げた空には今日も太陽が輝いていた。
まったく、オマエにこそバカヤローと叫んでやりたいくらいなのだ。