空っぽの皿と母

2002年5月7日
 空っぽの皿を前にして早三時間が経った。
 テーブルの上の空っぽの皿。たまにテレビを見たり考え事をしたりインターネットしたりゴロゴロしたり。そんな合間に皿を見る。特に手の込んだ皿ではないし、別に食器とか陶芸の趣味もないのだが、皿、考え事、インターネット。皿、ゴロゴロ、皿、テレビ。考え事、皿。皿皿皿。食物を載せる以外、特に使い道の見つからないソイツをあたしは三時間も見続けていた。
 しかし、コレは婉曲的に食べるモノがないと言っているわけではない。実はその皿には、三時間前ちゃんと食べ物が載っていた。
 ソレもあたしの母親が捏ねた餅だ。お手製だ。手作りだ。サトウの切り餅とはワケが違う。そう思っている。が、正確には母がモチ米を研いでモチつき器が捏ねたモチなので、
(サトウの切り餅-機械で研いだモチ米)+(母が研いだモチ米)
という数式で表される母の愛情がこもったモチ。と言うのが正しいような気がする。
 とにもかくにもそんなモチがあたしの目の前にある空の皿の上を三時間前にぎわしていた。
 ところで、遡ること5月3日。あたしは祖父の見舞いも兼ねて実家に帰り4日に祖父を見舞ってそのまま東京に戻ってきた。特に久々の帰省というわけではなかったが、何を血迷ったかあたしは「母の日」なる行事を思い出してしまい「母の日のプレゼント」なるモノを買っていこうと考えた。主な原因は新宿西口地下に広がる京王モールの所為だと思う。ヤツらは母の日や父の日、バレンタインデーやクリスマスなどなど記念日となればソコココに旗を掲げ購買意欲を刺激する。
 日ごろの感謝や彼彼女への愛情を現金換算で表現させようとするとんでもないヤツらだ。しかし、たいていの人間はそんなのに負けて感謝愛情を現金換算してしまう。そしてあたしもたいていの人間に含まれる。
 そんなワケであたしは母への感謝を現金に変えた。「思い起こすは子供の頃、あたしという子供は…」たまにそんなことをするので自分への感傷もひとしお。センチメンタリズムとナルシズム。あとちょっとばかりの感謝の気持ちを抱え家路についた。
 あたくし桜井シイタ26才。
 十年一昔とは言うが、そうするとあたしの人生は2昔と半分。母の年もパッと出てこないあたしだが、聞くところによると母は22才の時にあたしを産んだらしい。2昔とちょっと。田舎娘だった母が結婚したのは20才。なにやら本家とか親類縁者とか、そんなコマゴマしたものが幅を利かせる世界にハタチの小娘が躍り込んで今日で28年。
 母の母曰く、もう少し遊ばせてやりたかったとのことだが、実にあたしも同じ考えだ。もっともハタチの母の肖像なんて本人以外知る由もないだろうし、やんなっちゃうくらい遊びまくったのでハタチで結婚できたのかもしれない。
 しかし、そんな母は京王モールとあたしが現金換算した「母の日のプレゼント」を痛く喜んで、4日には帰る26才の息子のために端午の節句を一日早め、菖蒲湯とモチを用意したのだ。
 陽も昇らないまだ暗いうちから母と機械はモチを捏ねていたという。つきたてでまだ熱いモチを小分けにしてあたしに持たせてくれた。モチを入れたビニール袋の口を開けたままあたしに渡して、
「まだ冷め切らないから、口はしめるんじゃないよ」
と。
 つまりそういうモチがあたしの目の前にある空っぽの皿の上に載っていたというワケなのだ。
 母に感謝しなければなるまい。
 父に感謝しなければなるまい。
 京王モールにも。
 しかし。しかし、モチはあまりの時間に耐えきれずカビてしまっていた。少しだけカビてしまっていた。少しだけ。母への感謝までカビたような気がしてあたしはタイヘン腹立たしかったが、あたしが母の感謝をカビさせたみたいでタイヘン腹立たしかったので。
 思い切って食べてみた。
 そして、三時間が経った。ブルーチーズは食べられるのでブルーモチが食べられないワケはない。そんな理屈を考えながら、テレビを見て、インターネットをして、ゴロゴロして三時間。感謝と自己満足と腹痛の恐怖を抱えながら、あたしはまだ皿を見ている。
 
 
そんな桜井シイタさんのウェブサイトはコチラ→http://cta.wnj11.jp/sweb/
 

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

日記内を検索