愛のあるシャンプー

2001年10月15日
 人は昔から多くの動物達と関わり生活してきた。
 例えば牛とか豚とか鶏とか。
 ビーフとかポークとかチキンとか。
 カタカナにすると俄然美味しそうだが、人と肉との、いや動物との関わりは、別に食用としてではなく。なんだかいまいち説得力に欠けるが、革パンとかウールとかカシミアとか。とにかく長い歴史の中で人と動物はくんずほぐれつ、互いにくしゃくしゃになりながら生きてきた。
 その歴史を紐解けば、羊は1万2000年前、ヤギは1万年前、牛や豚は9000年前から家畜として存在していたらしい。もっともあたしが紐解いたわけではないし、その実際を見たわけではないので真偽のほどは判らないが、エライ学者さんはそう言っていた。
「馬や鶏でさえ5000年前ですし、ロバやラクダだってそれに近い頃なんですよ」
 だそうなのだ。何が「でさえ」で「だって」なのかは知らないが、とにかく彼らが家畜化されたのはそのくらい昔で、それほど長い間人間はイロイロ食べたり、イロイロ加工したりしてますよ。ってコトらしい。
 人間と家畜の歴史は長く深いのである。
 ちなみに、日本における家畜としては1万年前、縄文時代まで遡り、犬が唯一の家畜として当時の日本人と仲良くやっていたのだそうだ。それを食べていたかどうかまでは話していただけなかったが、あたしはきっとそのくらいはやらかしていただろうと期待して止まない。
 そんな当時の日本人に食べられていた、かも知れない犬達だが、その後狩猟用やら番犬用やら柴犬用やら秋田犬用やらと用途、種類ごとに細分化され今や愛玩用である。ちなみに新種としてはAIBOあたりもそうなのだろうが、彼らは食べられない。
 ところで、先日のことだ。ドラックストアで犬用シャンプーなるものを見つけた。
 そういえば、あたしも実家にいたときに我が家の飼い犬をよくシャンプーしたものだ。水をかけると嫌がり、シャンプーを泡立てると暴れたあのお犬様は今も健在なのだが、そのシャンプーを見て一時、懐かしい思い出に浸ってしまう。なんとも心地の良い時間だったが、シャンプーに張られたラベルを見て首を傾げてしまった。
 何しろソコには、
「愛犬用」
 と書いてあったのだから。
 なんのつもりだろうか。この商品独自の表記なのだろうかと思い、他のものも手に取ってみたがほぼすべての商品に「愛犬用」「愛猫用」の表記。
 コレはおかしくないか?
 わざわざ自分で飼う犬や猫である。愛してるに決まっているではないか。いちいち愛犬用とか表記せずとも「犬用」で十分だ。なんなら「犬用。人にも使えます」とかでもいい。わざわざ「愛」を付けるからには何か意味が欲しい。
 例えば同じ商品で「そうでもない犬用」とか「そこそこの猫用」があるとか。
 しかし、どの棚を探しても「そうでもない犬用」なんて商品は見あたらないし、「そこそこの猫用」も無い。見えてくるのは「愛愛愛愛…」。愛の大行列である。
 啓蒙活動か何かだろうか?しかし、いくらあたしが非常識だって「嫌いな犬用シャンプー」で他人の飼い犬をシャンプーして回ろうなんて考えないし、野良猫を集めて「そこそこの猫用シャンプー」でおフロ大会も開かない。売っていたって買わないだろうし、そんなこと考えたって実行しないのに。
 でも、商店街のドラックストアはその有り様だ。
 棚に整然と並ぶ「愛」を見るだに、「生類憐れみの令」なんていう愛を思い出すのは、きっとあたしだけでは無いだろう。
 
 

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