明るい未来

2001年10月6日
 自分があとどれくらい生きるのかということを考えたみた。
 今まで生きてきたわずか25年の人生を振り返りながら、これから先いくつまでどんな人生を送るかということを想像してみた。
 明日車に轢かれて死ぬかもしれないのに。
 5分後隕石に当たって死ぬかもしれないのに。
 しかし、想像の中の自分はしっかりと年を重ね、安穏とした余生を暮らしていた。
 現状に不安を抱えていても、貯金の残高が気になっても、想像の中の自分はしっかりと年老いそれなりに生きているのだ。何しろ想像の未来には世知辛いしがらみなど絡ませたくない。そこでは自分の希望のみの望むべき未来ができあがっているのだから、あたしはなんと幸せなヤツだろうと思ってしまう。
 しかし、こんな楽天的なあたしといえど、やはり未来は不安なのだ。安穏とした未来を想像しても、眼前に転がる通帳の残高は増えない。公共料金の請求書も減らないし、給料やら原稿料もいきなり増えたりしないのだ。
 そして、終いには友人フクスケに飯を奢ってもらいながら、そんな話までしてしまう。
 特に深夜のファミレスなんてうってつけの場所だ。そんな話題で悩んでみたり、社会に警鐘を鳴らしてみたり、むやみに不安になったりと若い二人は忙しいのだ。そして、先日もついついそんな話題を下ネタなどを織り交ぜつつ交わしていたわけだが、その時のフクスケは普段の彼とどこか違っていた。
 何しろ将来に対する不安などまるで感じさせない、オトコらしさが漂っていたのだ。しかもよくよく聞いてみれば、
「人生設計はカンペキだ」
 なんて言うではないか。
 あたしユメでも見ているのではないかと思った。もしくは彼がユメの中なのではないかと疑った。しかし、彼の人生設計の実際を聞いてあたしは二度驚くことになる。何とも理にかなったその計画性に脱帽することになるのだ。
 その一度目は、彼の家族に対する思いやりである。彼は自分の家族やこれから家族になるもののためにマンション、もしくは家を建てようと考えていたのだ。現在アパート住まいのあたしの将来は、なんだかぼんやりした、どこともしれぬ縁側だが、彼の将来は自分で建てた家、もしくはマンションで値段やらなにやらまでほぼカンペキに算出されていた。つまり、彼はこの先自分にとっていかほどの金が必要かと言うことをよく理解していると言うことになる。
 すばらしいことではないか!
 これから自分が使うであろう必要経費の算出は人生設計にとって必要不可欠なものである。あたしとたいして年の離れていない彼がこれを理解しているというのはものすごい衝撃である。
 しかし、次の衝撃はさらにすごかった。
 なにしろ彼はこともなげに言い放ったのだから。
「あとは宝くじ当てるだけだ」
 なんてコトだろう!
 当初冗談かとも思ったが、あたしを見る凛とした彼の瞳にウソはなかった。発言は決して冗談ではなく、彼の人生にはしかと「宝くじを当てる」というイベントが書き込まれているのだ。いや、イベントと呼ぶのが申し訳ないくらい「確定した事実」としてである。

 ギャンブルで身を滅ぼすというのは、あまりにもありきたりだが、彼にとって宝くじはギャンブルではない。
 しかし、よくよく考えればそうなのかもしれない。
 五分後車に轢かれて死ぬのも未来なら、宝くじを当てて人生設計を完成させるのも未来。どれも可能性なのだから、それを信じられる人間は斯くも幸せな動物だ。
 そう思う反面、可能性と事実は違うと言うべきかどうか、深夜のファミレスであたしはしばらく悩んでいるのだ。
 
 

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