後ろ前に生きろ

2001年7月10日
 前向きに生きなければいけないことなんてない。そう言っていただけるならどんなに救われることか。友人フクヤケイスケは言っていた。そして言っている。どうも何かに疲れているらしいのだが、そういう疲労感は伝染するので、出来れば近くに寄りたくない。たとえ話を聞いて欲しそうな顔をしていても御免被りたいのだ。しかし、ヤツの巧みな話術にのせられていつの間にか相談にのっている。
 辛そうな顔で「オレさー」なんて本題を持ちかけられて「そうだよなー」なんて。思いもしないのに同意してしまう自分にこそ同意できないのに。現実はなかなか上手く行かないモノだ。
 あたしの目の前に並んだランチも美味そうだったのに、沈みがちなテンションでは味なんてどこかへいってしまう。それがたとえ奢りであろうと、食べるというより摂取する。ゴハンには大変申し訳ない。
 しかし、あたしの他に同席した一名は、目の前に並んだランチを美味そうに頬張りながら、こんなコトを言うのだ。
「前向きに生きるのがイヤなら、後ろを向いて前に進むというのでどうか?」
 後ろ向きに生きるのではなくて、あくまで前に進んでいる。ただし前は見ていないが。それが一体どういうことか、あたしにはいまいち理解出来ない。当のフクスケもよく飲み込めていないようだったが、
「でも、それだと転ぶよ」
 ただ、常識的理解として前を見なければ転ぶということを非難混じりに口にした。するとその一名さまはさらにこんなコトまで言う。
「転べば判るだろ」
 昼時のファミレス。四人掛けのテーブルの上には3人前のハンバーグランチがのっている。その上をなにかが飛んでいって、沈黙が訪れる。
 ヤツがまた美味そうにハンバーグを頬張りはじめて、あたしもそれに続く。フクスケは相変わらず黙ったままだが、ゆっくりゆっくりと咀嚼するように頷いていた。
 結局それから誰も口を開かず、ただただ黙って食べ続けた。あたしはと言えば、漸くわかりかけてきたハンバーグの味がしょっぱいだけだと知って、案外そんなものなのだろうな、なんて思いながら通りを行く人々を眺めていた。
 サラリーマンや主婦、学生。老人も子供も濃い影を残して様々な人が通り過ぎていく。
 未だ真夏日の続く6月或る日の出来事だった。
 
 

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