サマランチとサモハン・キンポー
2001年4月14日 ブルースもジャッキーも好きだがサモハンも大好きなあたしは、夜中突然ユンピョウが見たくなり、「死角都市 香港」なんて借りてきて喜んでいた。しかしこの映画、監督も主演もサモハンなので、うちのブラウン管にはサモハンが飛んだり跳ねたり。もはやユンピョウどころではなくなっていたのだ。そして、そんなサモハンを見ていたら、ふと或るフクスケのことを思い出した。ヤツも熱烈なサモハンファンなのだ。今もそうだが、昔からヤツはサモハンの大ファンで、とてもイカしていて、そしてすぐムキになる男だった。当然、ヤツがムキになってどうかなってしまった記憶など腐るほどあるし、ココはヤツの名誉のためにも、ザマーミロとばかりにひとつご披露だ。
というわけで当時の話の話だが、ちょうどバルセロナオリンピッックの頃だろう。オリンピックがどうこうという話になり、ヤツがIOC会長のサマランチを「サラマンチ」と言ってしまったことがあった。サラマンチと。たかだか1文字の間違いなのだが、しかし、当時思春期のまっただ中。ヴィヴィッドな感性がシビリゼーションでハレーションなあたし達にはひどく面白く、一文字が違うだけでフクスケは先生を「お母さん」って呼んだくらいの辱めを受けたのだ。そりゃあ、ムキにもなるだろうし、実際ヤツはムキになって怒りだした。当然、あたし達としては、「ギャー、コレはマズイ」くらい思ったのだろう。そして、どうにかしてヤツをナットクさせるべくいろいろ考えた末にこんな手で攻めてみることにした。
「オマエ、サマランチをサラマンチと言ったけど、んじゃ、サモハン・キンポーをハモサン・キンポーとか言われたらどうすんだよ?」
全くの意味不明である。当然、ヤツの怒りは全然収まらない。ヤツはずっと怒りっぱなしで、意地と正当性とプライドと何かが交錯した微妙な一日は、どうやら一週間は続きそうなイキオイだった。結局、その後は例のトンチキな攻め手を行ったあたしがフクスケに詫びることになるのだが、でも、今もあたしは思うだ。
「ハモサン・キンポー」よりは「サモハン・ポンキー」の方が良かったのではないだろうかと。
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4/11にも書かれているが、あたしもウェブサイトを持つことになった。ミナサンがいらしてくれて、掲示板にお祝いとかの書き込みをしてくれた。たいへん嬉しかったので、今度は引っ越しました。引越祝いの書き込み下さい。
尚、新アドレスはココ→リンク
昔のアドレスに行くとジャンプページに飛ぶマス。
そして、とうとう[桜井シイタのウェブサイト](サイトの名前)にキラーコンテンツが登場なのだね。その名も「フォトブンガク」。
これで人が来なければあたしは腹を切る。つもりでがんばってみた。
というわけで当時の話の話だが、ちょうどバルセロナオリンピッックの頃だろう。オリンピックがどうこうという話になり、ヤツがIOC会長のサマランチを「サラマンチ」と言ってしまったことがあった。サラマンチと。たかだか1文字の間違いなのだが、しかし、当時思春期のまっただ中。ヴィヴィッドな感性がシビリゼーションでハレーションなあたし達にはひどく面白く、一文字が違うだけでフクスケは先生を「お母さん」って呼んだくらいの辱めを受けたのだ。そりゃあ、ムキにもなるだろうし、実際ヤツはムキになって怒りだした。当然、あたし達としては、「ギャー、コレはマズイ」くらい思ったのだろう。そして、どうにかしてヤツをナットクさせるべくいろいろ考えた末にこんな手で攻めてみることにした。
「オマエ、サマランチをサラマンチと言ったけど、んじゃ、サモハン・キンポーをハモサン・キンポーとか言われたらどうすんだよ?」
全くの意味不明である。当然、ヤツの怒りは全然収まらない。ヤツはずっと怒りっぱなしで、意地と正当性とプライドと何かが交錯した微妙な一日は、どうやら一週間は続きそうなイキオイだった。結局、その後は例のトンチキな攻め手を行ったあたしがフクスケに詫びることになるのだが、でも、今もあたしは思うだ。
「ハモサン・キンポー」よりは「サモハン・ポンキー」の方が良かったのではないだろうかと。
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4/11にも書かれているが、あたしもウェブサイトを持つことになった。ミナサンがいらしてくれて、掲示板にお祝いとかの書き込みをしてくれた。たいへん嬉しかったので、今度は引っ越しました。引越祝いの書き込み下さい。
尚、新アドレスはココ→リンク
昔のアドレスに行くとジャンプページに飛ぶマス。
そして、とうとう[桜井シイタのウェブサイト](サイトの名前)にキラーコンテンツが登場なのだね。その名も「フォトブンガク」。
これで人が来なければあたしは腹を切る。つもりでがんばってみた。
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