その勇気
2002年8月4日 人生において勇気を出すのは大切なことだ。あの時もう少しだけ勇気がもてれば…。そんな後悔はひどく切ない。そうならないためにも勇気を出して、勇気を持ってあたし達は向かわなければならい。例えば夢に、例えば困難に。そしてあの子に。
そんな勇気。
そして、かく言うあたしも、本日そんな勇気をふるう局面に出会った。まあまあ正確に言うには今までずーっとそのチャンスがあったにも関わらず、勇気を持てなかったと言うべきだろうか。
場所は都内某所のラーメン屋。雑誌とかにもチョイチョイ紹介されちゃうような有名な店らしいが、味の方はまあ悪くない。取り立てて騒ぐ程かどうかは別としても、独特の、そこでしか食べられないといったような味だ。
そんなラーメン屋のカウンター、中程の席であたしはいつもの如く注文した品がくるのを待っている。狭い店内に他に客は5、6名ほど。昼過ぎ、おやつの時間にしてはそこそこの入りだと思われ、さすがソコソコの有名店。
そして、注文の品があたしの前に置かれる。白いドンブリに入った細麺、油少な目、もやしねぎラフティ煮たまご入り。バッチリ注文通り。しかし、その様相と言ったら「しまった!もやしとラフティは余計だったか!?」と思わせるくらいのボリューム。
そうなのだ。あたしはこの店に来るといつもこんな失敗をする。なにしろここはカウンターに座ってから落ち着いて注文ではなく、店に入ってすぐ、
「そりゃぁもう腹ぺこピークです!」
って時に入り口で注文してから席に座るため、すんごい、もうすんごいお腹減ってるときなんかいらないモノまで注文しちゃって、ごめんなさい食べ切れません。ってのがしばしばある。いや、良くある。
そんなわけなので、いかな油少な目とはいえ、チャーシュー食ってラフティー食えば、
「こんなしつこいモンもう食えるカー!!」
となってしまう。
しかし、しかしココであたしは今まで黒いベールに包まれその姿を拝見することすらできなかった謎の常連客メニュー「おろししょうが」を注文することを思い立った。2年ちょっとも通い詰め、未だ注文したことがなく、注文されたところを見たこともない謎トッピング「おろししょうが」。注文を取るはずの入り口付近にはおろししょうがの「お」の字も無いのに、カウンターにはこっそり
「おろししょうがをご希望の方はスタッフまで」
の張り紙。
これだ!これに違いない!今あたしが置かれている状況を打破する必殺の選択肢は、今まさに眼前に提示された。あとは勇気を出して。ほんのちょっとの勇気を持って、
「おろししょうがください」
って言えばいいのだ。言えばいいのだ!
「お、おろししょうがください…」
あたしは小声で、消え入りそう囁き、注文と言うよりは呟きに近い声で「おろししょうが」を注文した。するとどうだろう。店員が口々に
「はい!おろししょうがひとつ!!」
「はい!おろししょうがひとつ!!」
「はい!おろししょうがひとつ!!」
「はい!おろししょうがひとつ!!」
ああ、唱和が広がっていく。店中におろししょうがの唱和が広がっていくのだ。あたしが発したか細い呟きが水面に落ち、おろししょうがの波紋が店中に広がっていく。ああ、なんて温かな感情。おろししょうがを注文してよかった。あたたかいよ、とうさんかあさん。ボクは一人じゃない。
なーんんてなことを考えたかどうか。しかし、店中の店員が「おろししょうが」と言ったのは確か。間違いなくあたしの注文「おろししょうが」はオーダーとして店側に認知された。認知されたのだが。それからいくら待っても「おろししょうが」があたしの前に出されることはなかった。
目の前のラーメンはしつこいまま。麺も具もどうにかこうにか食べ終わって、スープを残すのみとなった今もあたしの前に「おろししょうが」が置かれることはなかった。
結局あたしは、そのしつこいラーメンスープを残して店を出ることになる。ドンブリの1/3程に満たされたラーメンスープの中にはねぎともやしの残骸が残り、あたしの中にはおろししょうがという疑問が残った。謎のトッピング「おろししょうが」とはなんだったのか。
なにもかも解らないまま店を出たあたしだが、たったひとつだけ解ったことがある。それは、勇気を出したがために後悔し、切なくなることもあるってことだ。
そんな桜井シイタさんのウェブサイトはコチラ→http://cta.euu.jp/sakurai/
URLがちょっとかわったよ。
そんな勇気。
そして、かく言うあたしも、本日そんな勇気をふるう局面に出会った。まあまあ正確に言うには今までずーっとそのチャンスがあったにも関わらず、勇気を持てなかったと言うべきだろうか。
場所は都内某所のラーメン屋。雑誌とかにもチョイチョイ紹介されちゃうような有名な店らしいが、味の方はまあ悪くない。取り立てて騒ぐ程かどうかは別としても、独特の、そこでしか食べられないといったような味だ。
そんなラーメン屋のカウンター、中程の席であたしはいつもの如く注文した品がくるのを待っている。狭い店内に他に客は5、6名ほど。昼過ぎ、おやつの時間にしてはそこそこの入りだと思われ、さすがソコソコの有名店。
そして、注文の品があたしの前に置かれる。白いドンブリに入った細麺、油少な目、もやしねぎラフティ煮たまご入り。バッチリ注文通り。しかし、その様相と言ったら「しまった!もやしとラフティは余計だったか!?」と思わせるくらいのボリューム。
そうなのだ。あたしはこの店に来るといつもこんな失敗をする。なにしろここはカウンターに座ってから落ち着いて注文ではなく、店に入ってすぐ、
「そりゃぁもう腹ぺこピークです!」
って時に入り口で注文してから席に座るため、すんごい、もうすんごいお腹減ってるときなんかいらないモノまで注文しちゃって、ごめんなさい食べ切れません。ってのがしばしばある。いや、良くある。
そんなわけなので、いかな油少な目とはいえ、チャーシュー食ってラフティー食えば、
「こんなしつこいモンもう食えるカー!!」
となってしまう。
しかし、しかしココであたしは今まで黒いベールに包まれその姿を拝見することすらできなかった謎の常連客メニュー「おろししょうが」を注文することを思い立った。2年ちょっとも通い詰め、未だ注文したことがなく、注文されたところを見たこともない謎トッピング「おろししょうが」。注文を取るはずの入り口付近にはおろししょうがの「お」の字も無いのに、カウンターにはこっそり
「おろししょうがをご希望の方はスタッフまで」
の張り紙。
これだ!これに違いない!今あたしが置かれている状況を打破する必殺の選択肢は、今まさに眼前に提示された。あとは勇気を出して。ほんのちょっとの勇気を持って、
「おろししょうがください」
って言えばいいのだ。言えばいいのだ!
「お、おろししょうがください…」
あたしは小声で、消え入りそう囁き、注文と言うよりは呟きに近い声で「おろししょうが」を注文した。するとどうだろう。店員が口々に
「はい!おろししょうがひとつ!!」
「はい!おろししょうがひとつ!!」
「はい!おろししょうがひとつ!!」
「はい!おろししょうがひとつ!!」
ああ、唱和が広がっていく。店中におろししょうがの唱和が広がっていくのだ。あたしが発したか細い呟きが水面に落ち、おろししょうがの波紋が店中に広がっていく。ああ、なんて温かな感情。おろししょうがを注文してよかった。あたたかいよ、とうさんかあさん。ボクは一人じゃない。
なーんんてなことを考えたかどうか。しかし、店中の店員が「おろししょうが」と言ったのは確か。間違いなくあたしの注文「おろししょうが」はオーダーとして店側に認知された。認知されたのだが。それからいくら待っても「おろししょうが」があたしの前に出されることはなかった。
目の前のラーメンはしつこいまま。麺も具もどうにかこうにか食べ終わって、スープを残すのみとなった今もあたしの前に「おろししょうが」が置かれることはなかった。
結局あたしは、そのしつこいラーメンスープを残して店を出ることになる。ドンブリの1/3程に満たされたラーメンスープの中にはねぎともやしの残骸が残り、あたしの中にはおろししょうがという疑問が残った。謎のトッピング「おろししょうが」とはなんだったのか。
なにもかも解らないまま店を出たあたしだが、たったひとつだけ解ったことがある。それは、勇気を出したがために後悔し、切なくなることもあるってことだ。
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URLがちょっとかわったよ。
生保をマジメに考える。
2002年5月30日 九州やら中国やら近畿やら東北やら、日本のどの辺までそれがあるかどうかは知らないが、東京にはあった。少なくともあたしのウロウロする、たいして広くもない行動範囲の中には、「三井住友海上きらめき生命」というなんだかわからないが妙に豪華な名前のその生保はあったのだ。ちなみに三件。そこそこの大きさの、別にきらきらときらめいちゃってるワケでもない程良く汚れたビルに、やっぱり程良く汚れた看板が掛かっている。
そして、そこに「三井住友海上きらめき生命」の名前。もう一回書くが、「三井住友海上きらめき生命」。さらに書くが「三井住友海上きらめき〜」うーん、何度書いても慣れないなぁとあたしを思わしむ、すばらしく違和感のある名前だ。初めて見たときからビリビリッとカラダに電気が走り、それ以来あたしのアタマを離れることはない。どう考えても疑問が残る名前。
「誰か止めなかったのかなー?」
と未だに思っている。まあ、そりゃ、海上はきらきらきらめくし、生命だって消える直前はきらめくと聞く。だからといって「三井住友海上きらめき生命」とは。イロイロ会社の事情もおありだろうが合併やらなにやらで社員の確執やらなにやら。会社のメンツとかそういったなにやらの狭間で、
「ココはひとつ受け入れやすい名前を!」
とかそのあたりの事情も察しなくはないが、果たして「きらめき」が適当であったのかどうか。いまいちというかかなりの疑問が残らないでもない。
しかしながら、あたくし桜井シイタ。ダメだ!ダメだ!と言うばかりの心の狭いオトコではない。やはり、他人の名前に疑問符を投げかけたのであれば、よりよい代替案というヤツを提示しないでもないのだ。
その名も、
「三井住友海上ときめき生命」
さぁ、いかがなものか!栄えある候補第一位。『お客様の人生と死んだり生きたり事故ったりをめくるめく「ときめき」でやさしくサポート。胸がキュンとなっちゃう切ないパートナー。アナタのおそばに「三井住友海上ときめき生命」』である。
顧客倍増間違いなしのこのネーミングに、あたしもはなはだ自分の才能が恐ろしいというもの。
こんな名前を付けられてしまっては、何口でも加入したくなってしまう。ときめき不足のアナタから、人生に疲れたアナタ、今まさに屋上で覚悟を決めたアナタまで。みんなを守るベストパートナー「三井住友海上ときめき生命」をみなさまもよろしくしてやっていただきたい。
ちなみに代替案としては、「三井住友海上めきめき生命」とか「三井住友海上むきむき生命」とかあったが、どれもキュンとならないので、やはり「ときめき生命」。それで行っていただきたいものだ。
そんな桜井シイタさんのウェブサイトはコチラ→http://cta.wnj11.jp/sweb/
そして、そこに「三井住友海上きらめき生命」の名前。もう一回書くが、「三井住友海上きらめき生命」。さらに書くが「三井住友海上きらめき〜」うーん、何度書いても慣れないなぁとあたしを思わしむ、すばらしく違和感のある名前だ。初めて見たときからビリビリッとカラダに電気が走り、それ以来あたしのアタマを離れることはない。どう考えても疑問が残る名前。
「誰か止めなかったのかなー?」
と未だに思っている。まあ、そりゃ、海上はきらきらきらめくし、生命だって消える直前はきらめくと聞く。だからといって「三井住友海上きらめき生命」とは。イロイロ会社の事情もおありだろうが合併やらなにやらで社員の確執やらなにやら。会社のメンツとかそういったなにやらの狭間で、
「ココはひとつ受け入れやすい名前を!」
とかそのあたりの事情も察しなくはないが、果たして「きらめき」が適当であったのかどうか。いまいちというかかなりの疑問が残らないでもない。
しかしながら、あたくし桜井シイタ。ダメだ!ダメだ!と言うばかりの心の狭いオトコではない。やはり、他人の名前に疑問符を投げかけたのであれば、よりよい代替案というヤツを提示しないでもないのだ。
その名も、
「三井住友海上ときめき生命」
さぁ、いかがなものか!栄えある候補第一位。『お客様の人生と死んだり生きたり事故ったりをめくるめく「ときめき」でやさしくサポート。胸がキュンとなっちゃう切ないパートナー。アナタのおそばに「三井住友海上ときめき生命」』である。
顧客倍増間違いなしのこのネーミングに、あたしもはなはだ自分の才能が恐ろしいというもの。
こんな名前を付けられてしまっては、何口でも加入したくなってしまう。ときめき不足のアナタから、人生に疲れたアナタ、今まさに屋上で覚悟を決めたアナタまで。みんなを守るベストパートナー「三井住友海上ときめき生命」をみなさまもよろしくしてやっていただきたい。
ちなみに代替案としては、「三井住友海上めきめき生命」とか「三井住友海上むきむき生命」とかあったが、どれもキュンとならないので、やはり「ときめき生命」。それで行っていただきたいものだ。
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不思議な保険
2002年5月29日 人にはそれぞれ変なクセがある。
「無くて七癖、あって〜」なんてよく言ったもので、いがーいと人間知らず知らずのうちに、その癖を発揮して、他人を困惑させたり、楽しませたり、イヤな気分にさせたり、特に影響なかったりと、いろいろな局面でワーキャーなったりしているものだ、まあ、かなり雑な書き出しで申し訳ないが、かといって今回は癖の話をするわけではないので、癖に関してはこの辺で勘弁して欲しい。なにしろ今回話すのは、あたしの妙な癖について。あれ?癖の話だ。まあいいや、つまりそのあたしの妙な癖について話すので、特に他人の癖とかはいい。勝手にワーキャーなっててくれといったカンジ。
ちなみに、あたしの妙な癖と言ったが、別に一人称があたしということについてではない。これは、いわば落語家や浅香光代が「あたしゃねぇ」と語り出すのと同じレベルの問題なので、そっとしておいていただきたい。
そして、ようやく今回の本題だが、そう、アタシの妙な癖!そのくせとはいったい何なのか。かなり迷惑かつ他人を不快にさせるので、あたし自身ヒヤヒヤなのだが、その癖とは、相手の仕事が気になって気になって仕方が無いというものだ。だってそれは仕方ないのだ。まあ、早速言い訳か?とお思いの諸兄もいるだろうが聞いてほしい。
「だってさー、この世の中ってスゲェいろんな仕事があるんだよ?中には『えっ?それでお金もらえるの?』ってものまであるんだよー」
ということである。そりゃー、一物書きとして興味を持たないわけにはいかない。そして、出来ればこの場を借りて大発表してやりたい。まあ、そんな面白い職業に出会えたらの話であるが。そして、今のところ大発表に至るもの凄い職業というものに出会っていないので、当然ながら大発表は出来ない。何とも悲しい顛末である。が、出会ってはいないが、一見普通に振る舞っているが
「オマエ、それはおかしいだろう?」
という職業はたくさんある。
その際たるものが保険会社。もう一回書くが保険会社。保険会社はヘンだ。別に生保レディーがヘンだという話ではなく、保険会社のシステムがヘンだという話。
みなさんちゃんと考えて欲しい。あの生保というシステム、保険というシステムに関して。わかりやすく言うなら、
「オマエが死んだり病気になったらアレだから、今のうちからオレ様に貢いでおけば、そういうとき助けてやらないでもないよ」
ってコトでしょ? もっというなら、
「オマエ、イロイロあってヒドイ目に遭うかもしれないし、人生それほど満帆じゃないから、満帆なオレ様がオマエを助けてやる。だから金払え」
ってコトじゃない?
まあ、誰も金を払わずに助けてくださいなんて虫のいいことは言わない。助けて頂けるなら、そりゃー、それなりの代価をお支払いする覚悟はございますというものではあるが、しかし、それはどうなのだ?とは思う。だって、じゃー保険会社がイロイロヒドイ目に遭ったときとかどうするのだ?保険会社は別の保険会社に保険を頼むのだろうか?んで、その保険会社も別の保険会社に頼むのだろうか?周り回ってわっかみたいに繋がっちゃったらどうするのだ? やっぱり、最終的には国とか税金なの?それとも潔くつぶれていくの?
そんなことを考え始めたら夜も眠れなくなった。
そして、今も考えてる次第。それもコレも今回のワールドカップで韓国の保険会社がおかしなコトを始めたからだと思う。韓国の百貨店とかが販促用にはじめた、
「韓国がワールドカップでベスト16に入ったらイロイロプレゼントしちゃうよキャンペーン」
それに対して、
「じゃー、『ホントにベスト16に入ってプレゼント上げなきゃいけなくなったら店つぶれるかもしれないから、うちが肩代わりしてやるよ』保険」
んじゃ、最終的にベスト16に入った場合、保険会社はどうなるのだろうか?バッチリお金払っちゃって「ご利用有り難うございました!」って言っちゃえるのだろうか?
何社ものの百貨店を相手に始めた保険会社のキャンペーンであるわけだから、百貨店がヒーヒー言っちゃうような金額がドバーッと保険会社にふりかかるワケで、その辺どうなのか、ご教授願いたいと思っている。
それとも、ベスト16はムリだと思ってる?
そんな桜井シイタさんのウェブサイトはコチラ→http://cta.wnj11.jp/sweb/
「無くて七癖、あって〜」なんてよく言ったもので、いがーいと人間知らず知らずのうちに、その癖を発揮して、他人を困惑させたり、楽しませたり、イヤな気分にさせたり、特に影響なかったりと、いろいろな局面でワーキャーなったりしているものだ、まあ、かなり雑な書き出しで申し訳ないが、かといって今回は癖の話をするわけではないので、癖に関してはこの辺で勘弁して欲しい。なにしろ今回話すのは、あたしの妙な癖について。あれ?癖の話だ。まあいいや、つまりそのあたしの妙な癖について話すので、特に他人の癖とかはいい。勝手にワーキャーなっててくれといったカンジ。
ちなみに、あたしの妙な癖と言ったが、別に一人称があたしということについてではない。これは、いわば落語家や浅香光代が「あたしゃねぇ」と語り出すのと同じレベルの問題なので、そっとしておいていただきたい。
そして、ようやく今回の本題だが、そう、アタシの妙な癖!そのくせとはいったい何なのか。かなり迷惑かつ他人を不快にさせるので、あたし自身ヒヤヒヤなのだが、その癖とは、相手の仕事が気になって気になって仕方が無いというものだ。だってそれは仕方ないのだ。まあ、早速言い訳か?とお思いの諸兄もいるだろうが聞いてほしい。
「だってさー、この世の中ってスゲェいろんな仕事があるんだよ?中には『えっ?それでお金もらえるの?』ってものまであるんだよー」
ということである。そりゃー、一物書きとして興味を持たないわけにはいかない。そして、出来ればこの場を借りて大発表してやりたい。まあ、そんな面白い職業に出会えたらの話であるが。そして、今のところ大発表に至るもの凄い職業というものに出会っていないので、当然ながら大発表は出来ない。何とも悲しい顛末である。が、出会ってはいないが、一見普通に振る舞っているが
「オマエ、それはおかしいだろう?」
という職業はたくさんある。
その際たるものが保険会社。もう一回書くが保険会社。保険会社はヘンだ。別に生保レディーがヘンだという話ではなく、保険会社のシステムがヘンだという話。
みなさんちゃんと考えて欲しい。あの生保というシステム、保険というシステムに関して。わかりやすく言うなら、
「オマエが死んだり病気になったらアレだから、今のうちからオレ様に貢いでおけば、そういうとき助けてやらないでもないよ」
ってコトでしょ? もっというなら、
「オマエ、イロイロあってヒドイ目に遭うかもしれないし、人生それほど満帆じゃないから、満帆なオレ様がオマエを助けてやる。だから金払え」
ってコトじゃない?
まあ、誰も金を払わずに助けてくださいなんて虫のいいことは言わない。助けて頂けるなら、そりゃー、それなりの代価をお支払いする覚悟はございますというものではあるが、しかし、それはどうなのだ?とは思う。だって、じゃー保険会社がイロイロヒドイ目に遭ったときとかどうするのだ?保険会社は別の保険会社に保険を頼むのだろうか?んで、その保険会社も別の保険会社に頼むのだろうか?周り回ってわっかみたいに繋がっちゃったらどうするのだ? やっぱり、最終的には国とか税金なの?それとも潔くつぶれていくの?
そんなことを考え始めたら夜も眠れなくなった。
そして、今も考えてる次第。それもコレも今回のワールドカップで韓国の保険会社がおかしなコトを始めたからだと思う。韓国の百貨店とかが販促用にはじめた、
「韓国がワールドカップでベスト16に入ったらイロイロプレゼントしちゃうよキャンペーン」
それに対して、
「じゃー、『ホントにベスト16に入ってプレゼント上げなきゃいけなくなったら店つぶれるかもしれないから、うちが肩代わりしてやるよ』保険」
んじゃ、最終的にベスト16に入った場合、保険会社はどうなるのだろうか?バッチリお金払っちゃって「ご利用有り難うございました!」って言っちゃえるのだろうか?
何社ものの百貨店を相手に始めた保険会社のキャンペーンであるわけだから、百貨店がヒーヒー言っちゃうような金額がドバーッと保険会社にふりかかるワケで、その辺どうなのか、ご教授願いたいと思っている。
それとも、ベスト16はムリだと思ってる?
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グランパのハーゲンダッツ
2002年5月19日 身内に病人がいる。愛しのマイグランパだ。実家の方の病院に入院してるのだが、まあ、年が年だけに仕方がない。あたしが生まれたての頃など、バイクの荷カゴにあたしを詰めて、そりゃー、イロイロとドライブに連れていっていただいたモノだ。老年入り口の頃の彼は、カクシャクとしてて紫煙と黒い噂の絶えないイカしたジジイだったが、寄る年波には勝てずとうとう入院の憂き目、ベッドの上で余生を消費する身となった。
もっともただただベッドの上で寝ているワケではなく、看護婦を怒鳴りつけたり、聞こえないフリをしたり、自ら点滴を外したりと、いつ何時医療ミスを犯されても文句が言えないようなその入院態度は、さすがマイグランパ!と孫として感慨も一塩だ。正味の話、本当に病気なのだろうかと疑いすら沸いてくる。
しかし、担当医の言葉を借りるなら「自然に任せるか機械に頼るかの選択をする時期」に差し掛かっているのだから、退っ引きならない状態なのは間違いないだろう。
ちなみに、本日もそんなグランパの見舞いに行って来たのだが、本日はお茶が熱いことでご立腹なされていて、あたしより年下に見える看護婦さんはタイヘン辟易していた。
「こんな熱いお茶が飲めるかー!」
まるで雷のような一言で、見ず知らずのお嬢さんを威嚇する様はまさに在りし日のグランパを彷彿とさせる。しかし、熱かろうが冷たかろうがお茶に限らずほとんどの食べ物を受け付けない彼にとって、その一言はつまりはままならない自分への苛立ちというか、そういう意味ではハラが減ったので泣く赤子のようなモノだが、ただ赤子と違って意識はしっかりしていて、今まで普通だったモノを突然取り上げられたようなモノなのだろうから、その苛立ちは、想像こそすれ、理解は難しい。
ところで、本日のグランパの昼食はアイス5口というものだった。粗食にも程があろうというものだが、「食べたくない!」と言い、頑としてきかないので仕方がない。コレでそのアイスがハーゲンダッツでなければ、あたしも無力感や悲壮感やら寂寥感やらそういった類の感慨を相当に抱きつつ看護に当たれるのだが、冷凍庫の中に整然と並ぶハーゲンダッツバニラには、羨ましさこそあれ、やるせなさは感じられない。誠に遺憾ではあるのだが。
打ち明けるなら、そんなハーゲンダッツバニラ群、一つくらい頂いてもわからないだろうと思うのだが、以前バニラが売り切れだった折り、リッチミルクを差し出したら、蓋を開けるなりその違いを見分け、
「オレはバニラ以外食わねー」
と大宣言をなさったので、きっと寝ている時ですらバニラの匂いはかぎ分けるだろう。なまじ一日ベッドにいるものだからその目覚めの早さと言ったらあたしの理解の範疇を越える。そんなわけなのであたしは冷凍庫の中に整然と並ぶハーゲンダッツ達を触れるマボロシ程度に思うようにしている。
我がグランパにしか食せないマボロシのハーゲンダッツ。父親とあたしの区別は付かなくても、バニラとリッチミルクの違いを嗅ぎ分ける愛しのマイグランパ。ハーゲンダッツバニラで動く機械みたいだが、そんなになってもやはり生きていてほしいと、切にそう感じるのだ。
───グランパのハーゲンダッツ
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もっともただただベッドの上で寝ているワケではなく、看護婦を怒鳴りつけたり、聞こえないフリをしたり、自ら点滴を外したりと、いつ何時医療ミスを犯されても文句が言えないようなその入院態度は、さすがマイグランパ!と孫として感慨も一塩だ。正味の話、本当に病気なのだろうかと疑いすら沸いてくる。
しかし、担当医の言葉を借りるなら「自然に任せるか機械に頼るかの選択をする時期」に差し掛かっているのだから、退っ引きならない状態なのは間違いないだろう。
ちなみに、本日もそんなグランパの見舞いに行って来たのだが、本日はお茶が熱いことでご立腹なされていて、あたしより年下に見える看護婦さんはタイヘン辟易していた。
「こんな熱いお茶が飲めるかー!」
まるで雷のような一言で、見ず知らずのお嬢さんを威嚇する様はまさに在りし日のグランパを彷彿とさせる。しかし、熱かろうが冷たかろうがお茶に限らずほとんどの食べ物を受け付けない彼にとって、その一言はつまりはままならない自分への苛立ちというか、そういう意味ではハラが減ったので泣く赤子のようなモノだが、ただ赤子と違って意識はしっかりしていて、今まで普通だったモノを突然取り上げられたようなモノなのだろうから、その苛立ちは、想像こそすれ、理解は難しい。
ところで、本日のグランパの昼食はアイス5口というものだった。粗食にも程があろうというものだが、「食べたくない!」と言い、頑としてきかないので仕方がない。コレでそのアイスがハーゲンダッツでなければ、あたしも無力感や悲壮感やら寂寥感やらそういった類の感慨を相当に抱きつつ看護に当たれるのだが、冷凍庫の中に整然と並ぶハーゲンダッツバニラには、羨ましさこそあれ、やるせなさは感じられない。誠に遺憾ではあるのだが。
打ち明けるなら、そんなハーゲンダッツバニラ群、一つくらい頂いてもわからないだろうと思うのだが、以前バニラが売り切れだった折り、リッチミルクを差し出したら、蓋を開けるなりその違いを見分け、
「オレはバニラ以外食わねー」
と大宣言をなさったので、きっと寝ている時ですらバニラの匂いはかぎ分けるだろう。なまじ一日ベッドにいるものだからその目覚めの早さと言ったらあたしの理解の範疇を越える。そんなわけなのであたしは冷凍庫の中に整然と並ぶハーゲンダッツ達を触れるマボロシ程度に思うようにしている。
我がグランパにしか食せないマボロシのハーゲンダッツ。父親とあたしの区別は付かなくても、バニラとリッチミルクの違いを嗅ぎ分ける愛しのマイグランパ。ハーゲンダッツバニラで動く機械みたいだが、そんなになってもやはり生きていてほしいと、切にそう感じるのだ。
───グランパのハーゲンダッツ
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さよならパンツ
2002年5月13日 パンツに穴が開いた。ポッカリと口を開けた。前ではない。下でもない。どっちかというと後ろ。腰のゴムよりもちょっと下あたり。穴が開くほど穿くなよ。と思った。自分に叱責だ。しかしソレは誤解。穿きすぎて開いたのではなくて、引っかけて開いた。つまり切り傷だ。擦り傷じゃない。いつどの拍子で引っかけたかは知らないが、あたしはパンツ一丁で街を闊歩したりはしないので、それ以外のとき。外を歩いてるとき以外のいつかにパンツに穴が開いた。何とも寂しい限り。
当然ながら穴が開いたパンツは穿けない。前でも下でもないので漏れたり落ちたりはしないが、パンツを穿いていない時だって漏れたり落ちたりはさせないので、じゃあパンツの役割は何か?と言う話になるがそういうモノを漏らしたり落としたりしないようにするためのモノなのか、はたまた自尊心か。とにかく漏らしも落としもしないあたしだが、穴が開いたパンツは穿けないので捨てることにする。
それはなんだかカワイソウだが。ちょっとカワイソウだが、でも仕方ないがないのだパンツくん。穴が開いたら君はパンツではない。穴あきパンツ。穴あきパンツは世間一般、常識的には何かがマズイ。穴が開いてるので役に立たないので。カワイソウだけど、さよなら元パンツくん。
そうして穴の開いたパンツをゴミ袋に入れようとする。ポイと入れようか、ガサゴソと入れようか。雑誌に挟んだり、紙袋に入れたり、はたまたジョキジョキ切り刻んだり。あまりのバリエーションの多さにどれを選ぶべきか。最前の方策を模索するが、果てさてパンツくんはどうして欲しいのか。でも、きっと、捨てられたくはない。そうに違いない。
だっていつも一緒だった。いやソレはタイヘン語弊があるが、ちゃんと洗濯して毎日取り替えて我が家在住パンツナインの一員として。もしかしたらパンツイレブンかもしれないけど。そんな彼らの一員。レギュラーパンツ。イレブンやナインもきっとツライのだ。他の仲間も泣いている。
いつかは穴が開いて捨てられるサダメ。
いつも穴が開くのはパンツの方だ。じっとじっと穴が開くまでの時間、パンツイレブンは洗濯機でグルグル回されたり、天日に干されたり、穿かれたり、脱がれたり。そんな時間の中でじっくりじっくり穴はやってくる。恐れろパンツ!穴がやってくる。
でもパンツは抵抗しないのだ。穴が開くのをわかってる。穴が開いたら捨てられるサダメをちゃんとわかってる。
「さぁ、僕を捨てようサクライ」
ああ。ああ。パンツの声が聞こえるようだ。聞こえたかもしれない。でも、それでもさよなら、さよならパンツ。穴が開いたらオマエは元パンツ。そういうサダメをちゃんと受け止める元パンツ。だからあたしもサダメに従う。さよならさよならさよならパンツ。
だけど一寸だけ思うのだ。
なんで、パンツに穴が開くのか。穴にパンツが開いたっていいじゃないか。たまにそんなコトがあった方が、きっと世の中オモシロイ。
そんな桜井シイタさんのウェブサイトはコチラ→http://cta.wnj11.jp/sweb/
当然ながら穴が開いたパンツは穿けない。前でも下でもないので漏れたり落ちたりはしないが、パンツを穿いていない時だって漏れたり落ちたりはさせないので、じゃあパンツの役割は何か?と言う話になるがそういうモノを漏らしたり落としたりしないようにするためのモノなのか、はたまた自尊心か。とにかく漏らしも落としもしないあたしだが、穴が開いたパンツは穿けないので捨てることにする。
それはなんだかカワイソウだが。ちょっとカワイソウだが、でも仕方ないがないのだパンツくん。穴が開いたら君はパンツではない。穴あきパンツ。穴あきパンツは世間一般、常識的には何かがマズイ。穴が開いてるので役に立たないので。カワイソウだけど、さよなら元パンツくん。
そうして穴の開いたパンツをゴミ袋に入れようとする。ポイと入れようか、ガサゴソと入れようか。雑誌に挟んだり、紙袋に入れたり、はたまたジョキジョキ切り刻んだり。あまりのバリエーションの多さにどれを選ぶべきか。最前の方策を模索するが、果てさてパンツくんはどうして欲しいのか。でも、きっと、捨てられたくはない。そうに違いない。
だっていつも一緒だった。いやソレはタイヘン語弊があるが、ちゃんと洗濯して毎日取り替えて我が家在住パンツナインの一員として。もしかしたらパンツイレブンかもしれないけど。そんな彼らの一員。レギュラーパンツ。イレブンやナインもきっとツライのだ。他の仲間も泣いている。
いつかは穴が開いて捨てられるサダメ。
いつも穴が開くのはパンツの方だ。じっとじっと穴が開くまでの時間、パンツイレブンは洗濯機でグルグル回されたり、天日に干されたり、穿かれたり、脱がれたり。そんな時間の中でじっくりじっくり穴はやってくる。恐れろパンツ!穴がやってくる。
でもパンツは抵抗しないのだ。穴が開くのをわかってる。穴が開いたら捨てられるサダメをちゃんとわかってる。
「さぁ、僕を捨てようサクライ」
ああ。ああ。パンツの声が聞こえるようだ。聞こえたかもしれない。でも、それでもさよなら、さよならパンツ。穴が開いたらオマエは元パンツ。そういうサダメをちゃんと受け止める元パンツ。だからあたしもサダメに従う。さよならさよならさよならパンツ。
だけど一寸だけ思うのだ。
なんで、パンツに穴が開くのか。穴にパンツが開いたっていいじゃないか。たまにそんなコトがあった方が、きっと世の中オモシロイ。
そんな桜井シイタさんのウェブサイトはコチラ→http://cta.wnj11.jp/sweb/
空っぽの皿と母
2002年5月7日 空っぽの皿を前にして早三時間が経った。
テーブルの上の空っぽの皿。たまにテレビを見たり考え事をしたりインターネットしたりゴロゴロしたり。そんな合間に皿を見る。特に手の込んだ皿ではないし、別に食器とか陶芸の趣味もないのだが、皿、考え事、インターネット。皿、ゴロゴロ、皿、テレビ。考え事、皿。皿皿皿。食物を載せる以外、特に使い道の見つからないソイツをあたしは三時間も見続けていた。
しかし、コレは婉曲的に食べるモノがないと言っているわけではない。実はその皿には、三時間前ちゃんと食べ物が載っていた。
ソレもあたしの母親が捏ねた餅だ。お手製だ。手作りだ。サトウの切り餅とはワケが違う。そう思っている。が、正確には母がモチ米を研いでモチつき器が捏ねたモチなので、
(サトウの切り餅-機械で研いだモチ米)+(母が研いだモチ米)
という数式で表される母の愛情がこもったモチ。と言うのが正しいような気がする。
とにもかくにもそんなモチがあたしの目の前にある空の皿の上を三時間前にぎわしていた。
ところで、遡ること5月3日。あたしは祖父の見舞いも兼ねて実家に帰り4日に祖父を見舞ってそのまま東京に戻ってきた。特に久々の帰省というわけではなかったが、何を血迷ったかあたしは「母の日」なる行事を思い出してしまい「母の日のプレゼント」なるモノを買っていこうと考えた。主な原因は新宿西口地下に広がる京王モールの所為だと思う。ヤツらは母の日や父の日、バレンタインデーやクリスマスなどなど記念日となればソコココに旗を掲げ購買意欲を刺激する。
日ごろの感謝や彼彼女への愛情を現金換算で表現させようとするとんでもないヤツらだ。しかし、たいていの人間はそんなのに負けて感謝愛情を現金換算してしまう。そしてあたしもたいていの人間に含まれる。
そんなワケであたしは母への感謝を現金に変えた。「思い起こすは子供の頃、あたしという子供は…」たまにそんなことをするので自分への感傷もひとしお。センチメンタリズムとナルシズム。あとちょっとばかりの感謝の気持ちを抱え家路についた。
あたくし桜井シイタ26才。
十年一昔とは言うが、そうするとあたしの人生は2昔と半分。母の年もパッと出てこないあたしだが、聞くところによると母は22才の時にあたしを産んだらしい。2昔とちょっと。田舎娘だった母が結婚したのは20才。なにやら本家とか親類縁者とか、そんなコマゴマしたものが幅を利かせる世界にハタチの小娘が躍り込んで今日で28年。
母の母曰く、もう少し遊ばせてやりたかったとのことだが、実にあたしも同じ考えだ。もっともハタチの母の肖像なんて本人以外知る由もないだろうし、やんなっちゃうくらい遊びまくったのでハタチで結婚できたのかもしれない。
しかし、そんな母は京王モールとあたしが現金換算した「母の日のプレゼント」を痛く喜んで、4日には帰る26才の息子のために端午の節句を一日早め、菖蒲湯とモチを用意したのだ。
陽も昇らないまだ暗いうちから母と機械はモチを捏ねていたという。つきたてでまだ熱いモチを小分けにしてあたしに持たせてくれた。モチを入れたビニール袋の口を開けたままあたしに渡して、
「まだ冷め切らないから、口はしめるんじゃないよ」
と。
つまりそういうモチがあたしの目の前にある空っぽの皿の上に載っていたというワケなのだ。
母に感謝しなければなるまい。
父に感謝しなければなるまい。
京王モールにも。
しかし。しかし、モチはあまりの時間に耐えきれずカビてしまっていた。少しだけカビてしまっていた。少しだけ。母への感謝までカビたような気がしてあたしはタイヘン腹立たしかったが、あたしが母の感謝をカビさせたみたいでタイヘン腹立たしかったので。
思い切って食べてみた。
そして、三時間が経った。ブルーチーズは食べられるのでブルーモチが食べられないワケはない。そんな理屈を考えながら、テレビを見て、インターネットをして、ゴロゴロして三時間。感謝と自己満足と腹痛の恐怖を抱えながら、あたしはまだ皿を見ている。
そんな桜井シイタさんのウェブサイトはコチラ→http://cta.wnj11.jp/sweb/
テーブルの上の空っぽの皿。たまにテレビを見たり考え事をしたりインターネットしたりゴロゴロしたり。そんな合間に皿を見る。特に手の込んだ皿ではないし、別に食器とか陶芸の趣味もないのだが、皿、考え事、インターネット。皿、ゴロゴロ、皿、テレビ。考え事、皿。皿皿皿。食物を載せる以外、特に使い道の見つからないソイツをあたしは三時間も見続けていた。
しかし、コレは婉曲的に食べるモノがないと言っているわけではない。実はその皿には、三時間前ちゃんと食べ物が載っていた。
ソレもあたしの母親が捏ねた餅だ。お手製だ。手作りだ。サトウの切り餅とはワケが違う。そう思っている。が、正確には母がモチ米を研いでモチつき器が捏ねたモチなので、
(サトウの切り餅-機械で研いだモチ米)+(母が研いだモチ米)
という数式で表される母の愛情がこもったモチ。と言うのが正しいような気がする。
とにもかくにもそんなモチがあたしの目の前にある空の皿の上を三時間前にぎわしていた。
ところで、遡ること5月3日。あたしは祖父の見舞いも兼ねて実家に帰り4日に祖父を見舞ってそのまま東京に戻ってきた。特に久々の帰省というわけではなかったが、何を血迷ったかあたしは「母の日」なる行事を思い出してしまい「母の日のプレゼント」なるモノを買っていこうと考えた。主な原因は新宿西口地下に広がる京王モールの所為だと思う。ヤツらは母の日や父の日、バレンタインデーやクリスマスなどなど記念日となればソコココに旗を掲げ購買意欲を刺激する。
日ごろの感謝や彼彼女への愛情を現金換算で表現させようとするとんでもないヤツらだ。しかし、たいていの人間はそんなのに負けて感謝愛情を現金換算してしまう。そしてあたしもたいていの人間に含まれる。
そんなワケであたしは母への感謝を現金に変えた。「思い起こすは子供の頃、あたしという子供は…」たまにそんなことをするので自分への感傷もひとしお。センチメンタリズムとナルシズム。あとちょっとばかりの感謝の気持ちを抱え家路についた。
あたくし桜井シイタ26才。
十年一昔とは言うが、そうするとあたしの人生は2昔と半分。母の年もパッと出てこないあたしだが、聞くところによると母は22才の時にあたしを産んだらしい。2昔とちょっと。田舎娘だった母が結婚したのは20才。なにやら本家とか親類縁者とか、そんなコマゴマしたものが幅を利かせる世界にハタチの小娘が躍り込んで今日で28年。
母の母曰く、もう少し遊ばせてやりたかったとのことだが、実にあたしも同じ考えだ。もっともハタチの母の肖像なんて本人以外知る由もないだろうし、やんなっちゃうくらい遊びまくったのでハタチで結婚できたのかもしれない。
しかし、そんな母は京王モールとあたしが現金換算した「母の日のプレゼント」を痛く喜んで、4日には帰る26才の息子のために端午の節句を一日早め、菖蒲湯とモチを用意したのだ。
陽も昇らないまだ暗いうちから母と機械はモチを捏ねていたという。つきたてでまだ熱いモチを小分けにしてあたしに持たせてくれた。モチを入れたビニール袋の口を開けたままあたしに渡して、
「まだ冷め切らないから、口はしめるんじゃないよ」
と。
つまりそういうモチがあたしの目の前にある空っぽの皿の上に載っていたというワケなのだ。
母に感謝しなければなるまい。
父に感謝しなければなるまい。
京王モールにも。
しかし。しかし、モチはあまりの時間に耐えきれずカビてしまっていた。少しだけカビてしまっていた。少しだけ。母への感謝までカビたような気がしてあたしはタイヘン腹立たしかったが、あたしが母の感謝をカビさせたみたいでタイヘン腹立たしかったので。
思い切って食べてみた。
そして、三時間が経った。ブルーチーズは食べられるのでブルーモチが食べられないワケはない。そんな理屈を考えながら、テレビを見て、インターネットをして、ゴロゴロして三時間。感謝と自己満足と腹痛の恐怖を抱えながら、あたしはまだ皿を見ている。
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新宿駅西口献血センターオチコボレ
2002年4月23日 新宿駅西口には献血センターがある。
いつも血が不足していて、おじさんが必死で「献血お願いしまーす」と叫んでいる。昨今特にO型が不足気味らしいが、あたしはO型じゃないので別に関係ないやーと。そう思っていた。つい先日までは。
しかし、本日献血センターの前を通るとなぜか引き寄せられるように入っていってしまった。頭がふらふらはしていたが足の運びに迷いは感じられない。献血センターのドアをくぐって、列に並び、受付のおねいさんに声をかけられようやく自分が献血に来たこと知ったという感は否めないが、意識朦朧としていたわけでもないのだ。
もっともそんな白昼の神の導き的一連の行動。ホントはただ眠かったからかもしれない。が、或いは1時間ほど前に人間のアク部分を集約した様なヤツと打ち合わせをしたからかもしれないし、贖罪的な意味合いがあったのかもしれない。もしかしたらホントに神様に選ばれたのカモ?とか、世界を救わなくちゃならない使命ができちゃったの?なんてコトも考えられる。いや、考えた。
そして、気が付けば右腕にチクリとする感覚。目の前の注射器にどちらかと言えば赤紫に近い赤がニュルニュルと吸い込まれていって「今まさに血が抜かれている!」と認識した次第。
ココにてやっと自分が新宿駅西口献血センターに於いて献血前の血液検査をしていて、なにやら献血をするハメに陥ったという現実と実は自分こそ地球を救う正義マンであるという現実が合致したのだ。と言うことなのだ。
なので、あたしとしてはヒーロー様であるこの一瞬を満喫すべく、血液検査の結果が出るまで、待合い用のソファーでたいへんふんぞり返り、ビスケットなどボリボリとやらかしながらコーヒーを飲んだりしてみた。周りを見渡せばあたし以外にも数人のヒーロー様が思い思いに世界を救う順番を待っている。意外とワカモノが多いのに驚いたりしたが、確かに老人ヒーローではコレが最期の仕事になりかねない。
中にはカップルで世界を救いに来ているヒーロー様もおいでで、彼らは愛の共同作業的感覚に包まれているのか妙に仲睦まじい。でも「献血後の激しい運動は是非避けねばならない」という説明をちゃんと聞いていたのだろうかとちょっと心配になった。
そんな新宿駅西口献血センターの昼下がり曇り空。とうとう順番が回ってきた。世界を救うこの時をどれだけ待ったことかとあたしは思う。ビスケットもずいぶん食べ散らかした。コーヒーももう十分だ。早速係員の呼びかけでイスに座り「さあ好きなだけ採っていただきたい!」そんな心意気で左腕を差し出すも、彼女からは
「ちょっと肝臓の具合がおよろしくないようですので、本日はこのままお帰りください」
ときたモンだ。
「なにおぅ!」
あたしのココロが叫びをあげる。ぎゅっと握った拳が軋みをあげて、状況を理解できない脳ミソがケムリを上げた。
「えー、なんでですか?」
詳しい説明をモトム!全身でそう表現したつもりだったのだが、見た目表情がわずかに変わっただけだったかもしれない。目の前の係員はバカみたいにさっき言った言葉を繰り返した。
「肝臓がおよろしくないようですので…」
なんでか!?やはりイマイチ腑に落ちない。肝臓がおよろしくないと血を採ってはいけないのだろうか?かく言うあたしも目の前の係員に負けず劣らずバカなので、肝臓がおよろしくないと血を採ってはいけないがイコールで結びつかなかった。ので、よくよく説明をお伺いしたところ、血液の中の「なんとか値」がスゲェ高くて「この値が高い=肝臓に某かの問題がある」とのこと。つまり「肝臓に問題のあるオマエからは血が採れない!」→「肝臓がおよろしくないオマエなんかヒーローになれない!!」と言うこと。
なんとも殺生な話ではないか。こっちとしてはもう救う気満々なのに、ヒーローを必要としている連中から
「キミはヒーローじゃないから」
と言われたのだ。あまりのショックに「なんとか値」の高すぎる肝臓を心配するのも忘れるほどだ。が、やはりヒーローとは必要とされてはじめて存在できるもの。仕方ない。力一杯肩口まで捲り上げたシャツの袖を下ろすと、あたしはすごすごと新宿駅西口献血センターをあとにした。
「油モノとか控えてくださいね」
係員に言われた言葉が頭をよぎるが、あたしはヒーローーになり損ねたオチコボレなのだ。そういうのとかもうどうでもいい。肩を落として地下のショッピングモールから地上に出る。そしてふと空を見上げると相変わらずの曇り空だった。
気晴らしに近くのケンタッキーに入ってフライドチキンを食べた。相変わらずギトギトしていて美味しい。ヒーローじゃないので油モノも平気だ。
献血センターを出るとき係員からは「夏くらいにまた来てください」的なことをやんわりと言われたが「もう二度と来るか!」と思ったのは言うまでもない。ヒーローになれなかったあたしは、これから「悪の怪人コレステロール」として生きていこう。献血反対!油モノ大賛成!コレステロールバンザイだ!
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いつも血が不足していて、おじさんが必死で「献血お願いしまーす」と叫んでいる。昨今特にO型が不足気味らしいが、あたしはO型じゃないので別に関係ないやーと。そう思っていた。つい先日までは。
しかし、本日献血センターの前を通るとなぜか引き寄せられるように入っていってしまった。頭がふらふらはしていたが足の運びに迷いは感じられない。献血センターのドアをくぐって、列に並び、受付のおねいさんに声をかけられようやく自分が献血に来たこと知ったという感は否めないが、意識朦朧としていたわけでもないのだ。
もっともそんな白昼の神の導き的一連の行動。ホントはただ眠かったからかもしれない。が、或いは1時間ほど前に人間のアク部分を集約した様なヤツと打ち合わせをしたからかもしれないし、贖罪的な意味合いがあったのかもしれない。もしかしたらホントに神様に選ばれたのカモ?とか、世界を救わなくちゃならない使命ができちゃったの?なんてコトも考えられる。いや、考えた。
そして、気が付けば右腕にチクリとする感覚。目の前の注射器にどちらかと言えば赤紫に近い赤がニュルニュルと吸い込まれていって「今まさに血が抜かれている!」と認識した次第。
ココにてやっと自分が新宿駅西口献血センターに於いて献血前の血液検査をしていて、なにやら献血をするハメに陥ったという現実と実は自分こそ地球を救う正義マンであるという現実が合致したのだ。と言うことなのだ。
なので、あたしとしてはヒーロー様であるこの一瞬を満喫すべく、血液検査の結果が出るまで、待合い用のソファーでたいへんふんぞり返り、ビスケットなどボリボリとやらかしながらコーヒーを飲んだりしてみた。周りを見渡せばあたし以外にも数人のヒーロー様が思い思いに世界を救う順番を待っている。意外とワカモノが多いのに驚いたりしたが、確かに老人ヒーローではコレが最期の仕事になりかねない。
中にはカップルで世界を救いに来ているヒーロー様もおいでで、彼らは愛の共同作業的感覚に包まれているのか妙に仲睦まじい。でも「献血後の激しい運動は是非避けねばならない」という説明をちゃんと聞いていたのだろうかとちょっと心配になった。
そんな新宿駅西口献血センターの昼下がり曇り空。とうとう順番が回ってきた。世界を救うこの時をどれだけ待ったことかとあたしは思う。ビスケットもずいぶん食べ散らかした。コーヒーももう十分だ。早速係員の呼びかけでイスに座り「さあ好きなだけ採っていただきたい!」そんな心意気で左腕を差し出すも、彼女からは
「ちょっと肝臓の具合がおよろしくないようですので、本日はこのままお帰りください」
ときたモンだ。
「なにおぅ!」
あたしのココロが叫びをあげる。ぎゅっと握った拳が軋みをあげて、状況を理解できない脳ミソがケムリを上げた。
「えー、なんでですか?」
詳しい説明をモトム!全身でそう表現したつもりだったのだが、見た目表情がわずかに変わっただけだったかもしれない。目の前の係員はバカみたいにさっき言った言葉を繰り返した。
「肝臓がおよろしくないようですので…」
なんでか!?やはりイマイチ腑に落ちない。肝臓がおよろしくないと血を採ってはいけないのだろうか?かく言うあたしも目の前の係員に負けず劣らずバカなので、肝臓がおよろしくないと血を採ってはいけないがイコールで結びつかなかった。ので、よくよく説明をお伺いしたところ、血液の中の「なんとか値」がスゲェ高くて「この値が高い=肝臓に某かの問題がある」とのこと。つまり「肝臓に問題のあるオマエからは血が採れない!」→「肝臓がおよろしくないオマエなんかヒーローになれない!!」と言うこと。
なんとも殺生な話ではないか。こっちとしてはもう救う気満々なのに、ヒーローを必要としている連中から
「キミはヒーローじゃないから」
と言われたのだ。あまりのショックに「なんとか値」の高すぎる肝臓を心配するのも忘れるほどだ。が、やはりヒーローとは必要とされてはじめて存在できるもの。仕方ない。力一杯肩口まで捲り上げたシャツの袖を下ろすと、あたしはすごすごと新宿駅西口献血センターをあとにした。
「油モノとか控えてくださいね」
係員に言われた言葉が頭をよぎるが、あたしはヒーローーになり損ねたオチコボレなのだ。そういうのとかもうどうでもいい。肩を落として地下のショッピングモールから地上に出る。そしてふと空を見上げると相変わらずの曇り空だった。
気晴らしに近くのケンタッキーに入ってフライドチキンを食べた。相変わらずギトギトしていて美味しい。ヒーローじゃないので油モノも平気だ。
献血センターを出るとき係員からは「夏くらいにまた来てください」的なことをやんわりと言われたが「もう二度と来るか!」と思ったのは言うまでもない。ヒーローになれなかったあたしは、これから「悪の怪人コレステロール」として生きていこう。献血反対!油モノ大賛成!コレステロールバンザイだ!
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癒しとか救済とか
2002年4月12日 なんとかの法則というのがある。
これは別に「なんとか」の法則ではなく、ただ単にあたしのポンコツな脳ミソがそれの名前をど忘れしてしまったから便宜上「なんとかの法則」と言わせていただいたワケなので、たしか「なんとか」にはカタカナで人の名前のようなものが入った様な気がする。
別名は「1:何:何の法則」とも言ったような気がするが、当然の事ながらこの「何」もホントに「何」と言うわけではなくいくらかの数字が入ったハズである。
どうにも「たしか」とか「ハズ」とか「気がする」とか。不確からしく、不審なことこの上ないが、あたしの脳ミソにはその法則が記憶されているのである。気のせいでもハズでもなくて大変確かなコトだ。
しかし、ただただこうして「覚えていますー」と言ったところでその実が伴わなければ知らないも同然。「なんとかの法則」は実に「なんとかの法則」で終わりを迎えてしまうので、あたしが覚えている範囲で、その「なんとかの法則」についてのありがたいお話をしてみようと思う。
そもそも、この法則どこの誰が言ったかは知らないが、はじめに口走った方は相当気が長いか徳が高に違いないと思わせるほどに慈愛に満ちているというか、お優しい言葉だ。
上で「1:何:何の法則」とも言うなんて書いたが、その「1:何:何」は物事の比率を表していて、例えば誰かが思いも寄らぬ、しかも重大な失敗を犯したときでも
「キミが犯した間違いは、すごい数の小事とそこそこの数の中事とひとつの大事によって引き起こされているので、何もキミだけに責任があるわけではないよ」
と。そう言って慰めてくれるらしい言葉なのだ。邪推をすれば、「所詮個人の影響力なんて大したことはないのだ」的発言にとれなくもないがソコはソレ。弱っているときにこんな甘いこと言われたら、そりゃーもうウレシイに違いない。救われちゃうに違いない。次からカンバッちゃうに違いない。そうやって人間はイロイロ助けられちゃうに違いないのだ。
あたしがこの言葉を知ったときもそりゃー救われた。
「いやー、たすかりましたー」
と思った。
「だってワルいのあたしだけじゃないモン」
そう言って良いような気がしたのだ。そして事実そう口走った。まあ、結果どうなったかなんて敢えて書きはしないが、この言葉かなり有用だ。人生にとって大いなる救いや助けになるだろう。
まあ、問題があるとすれば、この言葉を常用し始めた時なのだが、そうなったときはすでに遅いので「ワルいのは自分だけじゃない」と、そう言ってあきらめるが吉である。
そんな桜井シイタさんのウェブサイトはコチラ→http://cta.wnj11.jp/sweb/
これは別に「なんとか」の法則ではなく、ただ単にあたしのポンコツな脳ミソがそれの名前をど忘れしてしまったから便宜上「なんとかの法則」と言わせていただいたワケなので、たしか「なんとか」にはカタカナで人の名前のようなものが入った様な気がする。
別名は「1:何:何の法則」とも言ったような気がするが、当然の事ながらこの「何」もホントに「何」と言うわけではなくいくらかの数字が入ったハズである。
どうにも「たしか」とか「ハズ」とか「気がする」とか。不確からしく、不審なことこの上ないが、あたしの脳ミソにはその法則が記憶されているのである。気のせいでもハズでもなくて大変確かなコトだ。
しかし、ただただこうして「覚えていますー」と言ったところでその実が伴わなければ知らないも同然。「なんとかの法則」は実に「なんとかの法則」で終わりを迎えてしまうので、あたしが覚えている範囲で、その「なんとかの法則」についてのありがたいお話をしてみようと思う。
そもそも、この法則どこの誰が言ったかは知らないが、はじめに口走った方は相当気が長いか徳が高に違いないと思わせるほどに慈愛に満ちているというか、お優しい言葉だ。
上で「1:何:何の法則」とも言うなんて書いたが、その「1:何:何」は物事の比率を表していて、例えば誰かが思いも寄らぬ、しかも重大な失敗を犯したときでも
「キミが犯した間違いは、すごい数の小事とそこそこの数の中事とひとつの大事によって引き起こされているので、何もキミだけに責任があるわけではないよ」
と。そう言って慰めてくれるらしい言葉なのだ。邪推をすれば、「所詮個人の影響力なんて大したことはないのだ」的発言にとれなくもないがソコはソレ。弱っているときにこんな甘いこと言われたら、そりゃーもうウレシイに違いない。救われちゃうに違いない。次からカンバッちゃうに違いない。そうやって人間はイロイロ助けられちゃうに違いないのだ。
あたしがこの言葉を知ったときもそりゃー救われた。
「いやー、たすかりましたー」
と思った。
「だってワルいのあたしだけじゃないモン」
そう言って良いような気がしたのだ。そして事実そう口走った。まあ、結果どうなったかなんて敢えて書きはしないが、この言葉かなり有用だ。人生にとって大いなる救いや助けになるだろう。
まあ、問題があるとすれば、この言葉を常用し始めた時なのだが、そうなったときはすでに遅いので「ワルいのは自分だけじゃない」と、そう言ってあきらめるが吉である。
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平日、秋葉原にて
2002年3月26日 本日は所用で秋葉原をウロツクあたしなのだが、別に所用とお茶を濁すのはアレやコレのいかがわしいコトではなく、FAX用のロール紙を探していたわけで、決してファック用のロール氏ではない。まあ、どうでもいいことなのだが。
秋葉原という街は、ソコココで言い尽くされているようにデンキ・ニッポン・タックスフリーなモノだから外人もそりゃーたくさんいる。間違えた。外国人。
とにかくそんな雑然とした街秋葉原を颯爽と歩くあたしなのだが、あの街は人様が歩くべき歩道にまでゲーム機がせり出していて、そこら中で体験プレイが行われていて、どっちかというとジャマなのだ。歩きづらい。
ちなみに体験プレイとは、まるで風俗の新ジャンルみたいだが残念なことにそうではなくて、要は新作のゲームをみなさんに体験していただいて買っていただこうというモノ。釣り人がマキエをするようにゲーム屋の店員が新作ゲームをゲーム機付きで歩道に設置しておくのだ。
当然ながらそんなことをしてしまっては、道行く人はゲーム機に取り付き、おおよそ予想ができそうなモノだが歩道は大混雑を起こす。前に進みたいのに、その前にはゲーム機に取り付いた人々の山ができ、
「なんだろう?」
と思ってフイとゲーム画面を見てしまい、さらに取り付く人間が増えるという。
そんなどうしようもない街「秋葉原」。
本日はソコにてお国柄の差というヤツを痛感させていただいた。とあるゲーム屋の前でのことだが。ソコではアニメ絵のギャルが跋扈する格闘ゲームとそれほどギャルギャルしていないポリゴン格闘ゲームの体験プレイが行われていた。
アニメ絵のギャル格闘には日本人数人が、ポリ格闘にはアメリカ人らしき白人数人が取り付いて遊んでいて、後ろから見る限りどちらもそこそこ白熱して見えた。
しかしこの二組には確たる差がある。なにしろギャル格闘に取り付いた日本人どもは一勝負付く度になにやら照れくさげにお互いを見やって「エヘヘヘ、ドーモ、ドーモ」的苦笑を浮かべるのに対し、ポリ格闘の外人組もとい外国人組は「イエァー」とか「ウッ」とか「ホゥ」とか声を上げるのだ。
ゲーム中も日本人組は静かなのに対し、外国人組は対戦者同士でなにやら言い合っている様子。もっともカチャカチャとボタンやら方向キーやらを操作する音しかしない中、画面中所狭しと飛び回るギャルに集中する彼らもどうかと思うのだが、今にもリアルパンチが飛び出しそうな外国人組もいかがなモノか。
そんな、なかなか対照的な二組にお国柄のなんたるかをご教授いただいたあたしだが、しかし、真に思っていたのはそんなことではなくて
「ジャマだナー」
というコト。もはやお国柄とかそういうレベルの話ではないのだ。
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秋葉原という街は、ソコココで言い尽くされているようにデンキ・ニッポン・タックスフリーなモノだから外人もそりゃーたくさんいる。間違えた。外国人。
とにかくそんな雑然とした街秋葉原を颯爽と歩くあたしなのだが、あの街は人様が歩くべき歩道にまでゲーム機がせり出していて、そこら中で体験プレイが行われていて、どっちかというとジャマなのだ。歩きづらい。
ちなみに体験プレイとは、まるで風俗の新ジャンルみたいだが残念なことにそうではなくて、要は新作のゲームをみなさんに体験していただいて買っていただこうというモノ。釣り人がマキエをするようにゲーム屋の店員が新作ゲームをゲーム機付きで歩道に設置しておくのだ。
当然ながらそんなことをしてしまっては、道行く人はゲーム機に取り付き、おおよそ予想ができそうなモノだが歩道は大混雑を起こす。前に進みたいのに、その前にはゲーム機に取り付いた人々の山ができ、
「なんだろう?」
と思ってフイとゲーム画面を見てしまい、さらに取り付く人間が増えるという。
そんなどうしようもない街「秋葉原」。
本日はソコにてお国柄の差というヤツを痛感させていただいた。とあるゲーム屋の前でのことだが。ソコではアニメ絵のギャルが跋扈する格闘ゲームとそれほどギャルギャルしていないポリゴン格闘ゲームの体験プレイが行われていた。
アニメ絵のギャル格闘には日本人数人が、ポリ格闘にはアメリカ人らしき白人数人が取り付いて遊んでいて、後ろから見る限りどちらもそこそこ白熱して見えた。
しかしこの二組には確たる差がある。なにしろギャル格闘に取り付いた日本人どもは一勝負付く度になにやら照れくさげにお互いを見やって「エヘヘヘ、ドーモ、ドーモ」的苦笑を浮かべるのに対し、ポリ格闘の外人組もとい外国人組は「イエァー」とか「ウッ」とか「ホゥ」とか声を上げるのだ。
ゲーム中も日本人組は静かなのに対し、外国人組は対戦者同士でなにやら言い合っている様子。もっともカチャカチャとボタンやら方向キーやらを操作する音しかしない中、画面中所狭しと飛び回るギャルに集中する彼らもどうかと思うのだが、今にもリアルパンチが飛び出しそうな外国人組もいかがなモノか。
そんな、なかなか対照的な二組にお国柄のなんたるかをご教授いただいたあたしだが、しかし、真に思っていたのはそんなことではなくて
「ジャマだナー」
というコト。もはやお国柄とかそういうレベルの話ではないのだ。
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電気と便意とダイエット
2002年3月16日 あたしもとうとう26になった。というのは今年の初めくらいに書いたと思うのだが、26歳というのはなんとも微妙な年齢だと今更ながらに痛感している。
25歳になったときから四捨五入で30。それはもう覚悟の上としても、しかし。正月、いざ親戚の子供めらに相見えてみてヤツらの口から、「おじさん、おじさん」という言葉を聞いたときにはあまりのショックで晴れの正月が寝正月になってしまったほどだ。
あまりに悔しかったので、
「あたしはお兄さんなのでお年玉を差し上げる甲斐性はございません。残念でした」
と、用意していたお年玉貯金で飲み食いを重ねたのだが、いかんせんそれがいけなかった。
暴飲暴食で幕を開けた今年は今の今までそのクセが抜けきってないらしく、三ヶ月たって現在。あたしは見事に肥え太った。ざっと7キロくらい。それもこれもあのクソガキどものせいだと今更ながら「おじさん事件」とともに怒りを覚えている。もっともいくら怒っても体重は減らない。食べる量も減らない。仕方が無いので前向きな解決方法を1つ。その通り。あたしはとうとうダイエットに踏み切る事にしたのだ。
しかし、今あたしの体を覆っているのは、徐々に徐々に侵攻してきた古強者の脂肪たち。これを落とす作業はきっと一筋縄ではないだろう。だので、いつもは「いーもん、ゴハン食べないから」なんて短絡的なダイエット作戦を展開するあたしも、今回は慎重に行く事にした。体重を落とすのではなく脂肪を燃やす。
そう!徐々に徐々に脂肪を筋肉に変え、ナイスなバディとシャープなフォルムを手に入れようというわけだ。そしてそれには通販!ボディーブレードやアブなんとかがあふれるフィットネスキングダム、テレコンワールドしかない。
そんなわけで、深夜にコーラを飲みながらボーっと通販番組の鑑賞にふけるあたしだが、なにやら最近のフィットネスマシーンはイカしている。あたしとしてはエキスパンダーやブルワーカーみたいな脳みそまで筋肉になっちゃうようなモノを想像していたのに、微妙に科学的なものが多くてビックリした。
その最たるモノが「アブトロニック」。EMSという不思議な機能で筋肉に負荷をかけ、本人はテレビを見てようが寝てようが勝手にムキムキのマッチョガイになっちゃう夢のマシーンだ。その方法論も科学的で体につけた数箇所のパッドから微弱な電気を送り、筋肉の収縮を促す。そうする事により体を動かさなくても筋肉は運動したような状態になるので筋肉がつきますというのだ。スゲェスゲェ!感嘆する事しきりだ。が、よくよく考えれば低周波治療器と何が違うのかという話。しかし、ソコはソレ。肩こりが治るのと筋肉がつくのとでは後に出来上がるマッチョ具合が違うに決まってる。
気に入った!
これでアナタもアブトロニックでムキムキのマッチョガイへ。ええええ。あたしもムキムキのマッチョガイへ。まるでブレインウォッシュを受けたが如くあたしのては受話器に伸びる。この微妙な年齢だからこそせめて身体は「おにいさん」でいたいのだ。が。ふと、あることに気が付いた。
さかのぼること一年前。東急ハンズで同じような製品を見た事がある。ボディーブレードの横に置いてあったソレは、たしか細めのベルトに小型の振動機がついた製品で、腰に巻いて使用したハズ。おなかに力を入れた状態で固定し、ちょっとでも力を緩めるとおなかが振動機を圧迫してブルブルブルブルブル…。
なんだそりゃ。
結局はアレかい。いやアレなのだ。つまりおなかに力を入れて生活してれば変な電気の力を借りずとも勝手に腹筋が付いちゃうのだ。胸筋に力を入れて過ごせば胸に、腕なら腕、尻なら尻に勝手に筋肉がついちゃうのだ。それなら全身ガチガチにリキんでれば普通の生活してたって、あっという間にムキムキマッチョガイである。要はどうやって筋肉を刺激するだけの問題なのだ。
だったら、あたしはネイチャーを選ぶ。金をかけず自然に自然にネイチャーにガンバって、電気の力とかでムキムキになったヤツを笑い飛ばしてやるのだ。
さて、言うが早いかあたしは腹筋に全神経を集中して散歩に出かけた。とりあえず腹筋を6つに割ろうという試み。そういう算段。そして、スタスタスタスタと近所の商店街を行き来する事しばし。
どうやら効いてきたようだ。キリキリキリキリと腹筋が悲鳴をあげる。そして括約筋までも。括約筋までも?
気付けばあたしは便意をもよおしている。
ウッと思ってトイレに駆け込み、ウウッと放出。ジャーと水を流すのだが、腹筋を鍛えようとして便意をもようしていれば世話は無い。電気とか腹筋とかそういうもの以前に、ちょっとリキんだだけで限界の来る食生活はどうなのだろう。改善すべき点は別にあるような。そういう情けない事実まで流れてくれないものかと、渦巻く水流を見やるあたしであった。
そんな桜井シイタさんのウェブサイトはコチラ→http://cta.wnj11.jp/sweb/
25歳になったときから四捨五入で30。それはもう覚悟の上としても、しかし。正月、いざ親戚の子供めらに相見えてみてヤツらの口から、「おじさん、おじさん」という言葉を聞いたときにはあまりのショックで晴れの正月が寝正月になってしまったほどだ。
あまりに悔しかったので、
「あたしはお兄さんなのでお年玉を差し上げる甲斐性はございません。残念でした」
と、用意していたお年玉貯金で飲み食いを重ねたのだが、いかんせんそれがいけなかった。
暴飲暴食で幕を開けた今年は今の今までそのクセが抜けきってないらしく、三ヶ月たって現在。あたしは見事に肥え太った。ざっと7キロくらい。それもこれもあのクソガキどものせいだと今更ながら「おじさん事件」とともに怒りを覚えている。もっともいくら怒っても体重は減らない。食べる量も減らない。仕方が無いので前向きな解決方法を1つ。その通り。あたしはとうとうダイエットに踏み切る事にしたのだ。
しかし、今あたしの体を覆っているのは、徐々に徐々に侵攻してきた古強者の脂肪たち。これを落とす作業はきっと一筋縄ではないだろう。だので、いつもは「いーもん、ゴハン食べないから」なんて短絡的なダイエット作戦を展開するあたしも、今回は慎重に行く事にした。体重を落とすのではなく脂肪を燃やす。
そう!徐々に徐々に脂肪を筋肉に変え、ナイスなバディとシャープなフォルムを手に入れようというわけだ。そしてそれには通販!ボディーブレードやアブなんとかがあふれるフィットネスキングダム、テレコンワールドしかない。
そんなわけで、深夜にコーラを飲みながらボーっと通販番組の鑑賞にふけるあたしだが、なにやら最近のフィットネスマシーンはイカしている。あたしとしてはエキスパンダーやブルワーカーみたいな脳みそまで筋肉になっちゃうようなモノを想像していたのに、微妙に科学的なものが多くてビックリした。
その最たるモノが「アブトロニック」。EMSという不思議な機能で筋肉に負荷をかけ、本人はテレビを見てようが寝てようが勝手にムキムキのマッチョガイになっちゃう夢のマシーンだ。その方法論も科学的で体につけた数箇所のパッドから微弱な電気を送り、筋肉の収縮を促す。そうする事により体を動かさなくても筋肉は運動したような状態になるので筋肉がつきますというのだ。スゲェスゲェ!感嘆する事しきりだ。が、よくよく考えれば低周波治療器と何が違うのかという話。しかし、ソコはソレ。肩こりが治るのと筋肉がつくのとでは後に出来上がるマッチョ具合が違うに決まってる。
気に入った!
これでアナタもアブトロニックでムキムキのマッチョガイへ。ええええ。あたしもムキムキのマッチョガイへ。まるでブレインウォッシュを受けたが如くあたしのては受話器に伸びる。この微妙な年齢だからこそせめて身体は「おにいさん」でいたいのだ。が。ふと、あることに気が付いた。
さかのぼること一年前。東急ハンズで同じような製品を見た事がある。ボディーブレードの横に置いてあったソレは、たしか細めのベルトに小型の振動機がついた製品で、腰に巻いて使用したハズ。おなかに力を入れた状態で固定し、ちょっとでも力を緩めるとおなかが振動機を圧迫してブルブルブルブルブル…。
なんだそりゃ。
結局はアレかい。いやアレなのだ。つまりおなかに力を入れて生活してれば変な電気の力を借りずとも勝手に腹筋が付いちゃうのだ。胸筋に力を入れて過ごせば胸に、腕なら腕、尻なら尻に勝手に筋肉がついちゃうのだ。それなら全身ガチガチにリキんでれば普通の生活してたって、あっという間にムキムキマッチョガイである。要はどうやって筋肉を刺激するだけの問題なのだ。
だったら、あたしはネイチャーを選ぶ。金をかけず自然に自然にネイチャーにガンバって、電気の力とかでムキムキになったヤツを笑い飛ばしてやるのだ。
さて、言うが早いかあたしは腹筋に全神経を集中して散歩に出かけた。とりあえず腹筋を6つに割ろうという試み。そういう算段。そして、スタスタスタスタと近所の商店街を行き来する事しばし。
どうやら効いてきたようだ。キリキリキリキリと腹筋が悲鳴をあげる。そして括約筋までも。括約筋までも?
気付けばあたしは便意をもよおしている。
ウッと思ってトイレに駆け込み、ウウッと放出。ジャーと水を流すのだが、腹筋を鍛えようとして便意をもようしていれば世話は無い。電気とか腹筋とかそういうもの以前に、ちょっとリキんだだけで限界の来る食生活はどうなのだろう。改善すべき点は別にあるような。そういう情けない事実まで流れてくれないものかと、渦巻く水流を見やるあたしであった。
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祖父母との生活
2002年3月14日 先日から少しの間実家に帰っていた。
栃木の山奥なのだが、電車を乗り継ぎ車で少々向かった先にある我が生家には、今やあたしが日常的に生活していた頃とは違いあたしの居場所はない。なにやら来客のようなおもてなしに落ち着くどころか気も漫ろなのだ。
朝起きてもする事は特になく、昼間も夜にだってあたしのすべきことはない。仕事から帰宅した父ととりあえずの晩酌というのがこの数日間のあたしの日課みたいなもので、両親共働きの家庭であるが故昼間家にいるのはあたしと祖父母の三人だけ。昼間はその三人で居間の掘りコタツでお茶を飲むのだ。
何とも渋い数日間ではないか。お茶と晩酌で暮れていくなんて!
大学入学とともに上京して以来、あたしはトーキョーに住み着いてしまい、たまに帰省しても休日なので両親が家にいて我が生家は結構にぎやかなものだった。しかし、今回は平日を挟んでの帰郷。家を出てもうそろそろで十年に手が届きそうな今、中学も高校でも滅多に見ることがなかった平日の昼間をあたしは祖父母とともに過ごすことになった。
これは結構な困惑である。
我がグランパもグランマも長生きの部類にはいるくらい結構な年だ。申し訳ないがそれほどの年の彼らが昼間いったいどうして過ごしているのかなんて想像もつかなかった。テレビでも見て過ごしているのだろう的な想像は可能だが、ホントにそうなのかは実際を目にしない限りは何とも言えない。そして、どんな話題で話すべきか。三人だけの空間であたしは何をどうすればいいのかまるで手だてが思いつかない。
そして、いざその時になってみてあたしの混乱はさらに加速する。だって彼らは何もしていないんだもの。正確には掘りコタツに入ってお茶を飲んでいる。タバコを吸っている。が、それだけなのだ。テレビを見るとか雑誌を読むとかメディアから情報を急襲するということを一切しない。挙げ句会話もしないのだ。
二人はもう何十年も座り続けているお互いの定位置に腰を落ち着けたきり、祖父はタバコとお茶を、祖母はお茶を飲んでいるだけだ。たまにカタカタと入れ歯が鳴る以外二人はほとんど音を出さない。
電気コタツの低いうなり声の中であたしとおじいちゃんとおばあちゃん。お茶を飲んで一時間。二人ともたまに電池が切れたように動かなくなるのが、それはどうも眠っているようなのだ。そして、起きてきてまた一時間。そこにある何よりも二人はエネルギーを消費しないように生活しているように見える。まるで家から生えているようだった。
そして、西日が窓から差し込み畳にうっすらと影を作る頃。祖父が口を開いた。
「久方ぶりにタバコを吸った。旨いなぁ」
それにあわせるように祖母がヒャヒャヒャと笑って、二人の入れ歯がカタカタと鳴った。あたしも笑って、そして程なくして母が帰ってきた。
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栃木の山奥なのだが、電車を乗り継ぎ車で少々向かった先にある我が生家には、今やあたしが日常的に生活していた頃とは違いあたしの居場所はない。なにやら来客のようなおもてなしに落ち着くどころか気も漫ろなのだ。
朝起きてもする事は特になく、昼間も夜にだってあたしのすべきことはない。仕事から帰宅した父ととりあえずの晩酌というのがこの数日間のあたしの日課みたいなもので、両親共働きの家庭であるが故昼間家にいるのはあたしと祖父母の三人だけ。昼間はその三人で居間の掘りコタツでお茶を飲むのだ。
何とも渋い数日間ではないか。お茶と晩酌で暮れていくなんて!
大学入学とともに上京して以来、あたしはトーキョーに住み着いてしまい、たまに帰省しても休日なので両親が家にいて我が生家は結構にぎやかなものだった。しかし、今回は平日を挟んでの帰郷。家を出てもうそろそろで十年に手が届きそうな今、中学も高校でも滅多に見ることがなかった平日の昼間をあたしは祖父母とともに過ごすことになった。
これは結構な困惑である。
我がグランパもグランマも長生きの部類にはいるくらい結構な年だ。申し訳ないがそれほどの年の彼らが昼間いったいどうして過ごしているのかなんて想像もつかなかった。テレビでも見て過ごしているのだろう的な想像は可能だが、ホントにそうなのかは実際を目にしない限りは何とも言えない。そして、どんな話題で話すべきか。三人だけの空間であたしは何をどうすればいいのかまるで手だてが思いつかない。
そして、いざその時になってみてあたしの混乱はさらに加速する。だって彼らは何もしていないんだもの。正確には掘りコタツに入ってお茶を飲んでいる。タバコを吸っている。が、それだけなのだ。テレビを見るとか雑誌を読むとかメディアから情報を急襲するということを一切しない。挙げ句会話もしないのだ。
二人はもう何十年も座り続けているお互いの定位置に腰を落ち着けたきり、祖父はタバコとお茶を、祖母はお茶を飲んでいるだけだ。たまにカタカタと入れ歯が鳴る以外二人はほとんど音を出さない。
電気コタツの低いうなり声の中であたしとおじいちゃんとおばあちゃん。お茶を飲んで一時間。二人ともたまに電池が切れたように動かなくなるのが、それはどうも眠っているようなのだ。そして、起きてきてまた一時間。そこにある何よりも二人はエネルギーを消費しないように生活しているように見える。まるで家から生えているようだった。
そして、西日が窓から差し込み畳にうっすらと影を作る頃。祖父が口を開いた。
「久方ぶりにタバコを吸った。旨いなぁ」
それにあわせるように祖母がヒャヒャヒャと笑って、二人の入れ歯がカタカタと鳴った。あたしも笑って、そして程なくして母が帰ってきた。
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疑惑のブラジャー
2002年2月27日 パートナーが言うには、あたしという人間の4/10はエロでできているらしい。んで、2/10がアナーキーで1/10がワガママということらしい。まあまあ、それが正しいかどうかは別としても、非常に冷静な人間でも自分のコトになるととかく判断が狂いがちなるで、客観的な視点としてその言葉を受け入れるのにやぶさかではない。
何しろあたしときたら普段から自分のことはわからないと言って歩いているのだから、その姿を見て
「ヘンなの?」
と言われなかっただけマシというモノだ。ちなみに「ヘンなの?」とは言われなかったが「ヘンタイ!」とはよく言われている。まあまあ、自分の40%をエロが占めている以上、もはや人からヘンタイ呼ばわりされるのは義務みたいなモノだ。
世の人々は自分の置かれた環境によって様々な役割を演じている。例えば家庭の中ではお父さんはお父さん、お母さんはお母さん、子供だって子供の役割を演じている。もし子供に兄弟姉妹がいるのならその時々によって演じ分けているだろうし、夜になればお父さんもお母さんも野生むき出しのケモノに戻るのだ。グヘヘヘ。そんなワケなのだから、あたしがヘンタイ扱いされても
「別にいいもんねー。ヘンタイだモンねー」
といったところなのだ。ホントに問題なのはヘンタイとしか呼ばれなくなったときで、そのときはあたしの全てがヘンタイということになるのだから、パートナーとの関係もそりゃぁタイヘンなことになるだろう。「ヘンタイと私」みたいな自叙伝を執筆されるかもしれない。
とにもかくにもそんな40%ヘンタイ、つまりおよそ半分ヘンタイのあたしは、先日パートナーとの電話にてあらぬ疑いをかけられる。しかもなんたることか。その疑いが
「ねぇ、あたしのブラジャー盗ってない?」
ときたものだから。あたしとしては、
「ううん。盗ってないよ」
と言うしかない。だってホントに盗ってないのだもの。もう一回書くが「だってホントに盗ってないんだもの」。が、彼女が言うには無くなったのはお気に入りのブラジャーで、考え得る可能性はあたししか無いというのだ。うーむ。これは困った。しかし盗ってないものは盗ってないのだからココはそういうしかないのだ。
電話口でバカみたいに「盗ってないよ。知らないよ」と繰り返しながら、疑いをかけられた経緯というか、日頃のあたしの行動を省みて少しだけ反省した。確かにあたしはブラジャーが大好きだ。パンティーよりはブラジャー。パンティーはオトコでもなんとかイケそうなだがブラジャーはオトコにとって絶対に必要がない。だからかもしれないが、ブラジャーには妙な憧れを感じる。部屋中にそれをばらまいて「ブラジャー祭」を開催したい衝動に駆られたり、それをパートナーに相談してみたり。また、パートナーに「なぁブラジャー」なんて呼びかけてしまったコトもしばしばだった。
きっと今回のブラジャー疑惑もそんなところに起因しているのではないかと深く深く反省したのである。なので「盗ってないよ、知らないよ」と言いながらも「ごめんなさい」と謝ったりもした。彼女の方はといえば納得したのかどうか。電話でブラジャーの所在は明らかにならなかったが、とりあえずは受話器を置いてくれた。
あたしの40%はエロできている。そう彼女は言っていた。んで30%がアナーキーとワガママ。そんなだからブラジャー疑惑をかけられる。
「よーし、反省でもすっかー!」
と、そう思った。
ちなみに残った30%はイロイロと言うこと。エロエロでなくてホントに良かった。
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何しろあたしときたら普段から自分のことはわからないと言って歩いているのだから、その姿を見て
「ヘンなの?」
と言われなかっただけマシというモノだ。ちなみに「ヘンなの?」とは言われなかったが「ヘンタイ!」とはよく言われている。まあまあ、自分の40%をエロが占めている以上、もはや人からヘンタイ呼ばわりされるのは義務みたいなモノだ。
世の人々は自分の置かれた環境によって様々な役割を演じている。例えば家庭の中ではお父さんはお父さん、お母さんはお母さん、子供だって子供の役割を演じている。もし子供に兄弟姉妹がいるのならその時々によって演じ分けているだろうし、夜になればお父さんもお母さんも野生むき出しのケモノに戻るのだ。グヘヘヘ。そんなワケなのだから、あたしがヘンタイ扱いされても
「別にいいもんねー。ヘンタイだモンねー」
といったところなのだ。ホントに問題なのはヘンタイとしか呼ばれなくなったときで、そのときはあたしの全てがヘンタイということになるのだから、パートナーとの関係もそりゃぁタイヘンなことになるだろう。「ヘンタイと私」みたいな自叙伝を執筆されるかもしれない。
とにもかくにもそんな40%ヘンタイ、つまりおよそ半分ヘンタイのあたしは、先日パートナーとの電話にてあらぬ疑いをかけられる。しかもなんたることか。その疑いが
「ねぇ、あたしのブラジャー盗ってない?」
ときたものだから。あたしとしては、
「ううん。盗ってないよ」
と言うしかない。だってホントに盗ってないのだもの。もう一回書くが「だってホントに盗ってないんだもの」。が、彼女が言うには無くなったのはお気に入りのブラジャーで、考え得る可能性はあたししか無いというのだ。うーむ。これは困った。しかし盗ってないものは盗ってないのだからココはそういうしかないのだ。
電話口でバカみたいに「盗ってないよ。知らないよ」と繰り返しながら、疑いをかけられた経緯というか、日頃のあたしの行動を省みて少しだけ反省した。確かにあたしはブラジャーが大好きだ。パンティーよりはブラジャー。パンティーはオトコでもなんとかイケそうなだがブラジャーはオトコにとって絶対に必要がない。だからかもしれないが、ブラジャーには妙な憧れを感じる。部屋中にそれをばらまいて「ブラジャー祭」を開催したい衝動に駆られたり、それをパートナーに相談してみたり。また、パートナーに「なぁブラジャー」なんて呼びかけてしまったコトもしばしばだった。
きっと今回のブラジャー疑惑もそんなところに起因しているのではないかと深く深く反省したのである。なので「盗ってないよ、知らないよ」と言いながらも「ごめんなさい」と謝ったりもした。彼女の方はといえば納得したのかどうか。電話でブラジャーの所在は明らかにならなかったが、とりあえずは受話器を置いてくれた。
あたしの40%はエロできている。そう彼女は言っていた。んで30%がアナーキーとワガママ。そんなだからブラジャー疑惑をかけられる。
「よーし、反省でもすっかー!」
と、そう思った。
ちなみに残った30%はイロイロと言うこと。エロエロでなくてホントに良かった。
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水道局の人がきた。
2002年2月6日水道局の人がきた。
水道料金を納めてください。との用件だったのだが、そう言われてみてここ数ヶ月水道代引き落とし用の口座に入金するのを忘れていたことに思い当たった。
もっとも本日も相変わらずの徹夜。これから寝ようという時分だったので、
「眠いので後で来い」
と言う意味のことを丁寧に主張しようと思い、しかしいきなりそう言ってしまっては身も蓋もないので、とりあえずとして「いくらですか?」とだけ聞いてみることにした。
すると水道局の人もそんなあたしの様子を察してか「面倒はごめんです」と言わんがばかりに請求書をあたしの目の前に差しだして、
「期日までにお願いします」
と言うので、渋々その紙切れを受け取ったのだが。
そこに書いてある金額を見てあたしは腰が抜けるかと思った。だってたかだか2ヶ月分の水道代なのに2万円近いのだ。
「なんだこりゃ?うちは豆腐屋か?」
思わず頭に浮かんだ言葉がそのまま口から出てきてしまう。どんなに使ったって社会人一人暮らしが2ヶ月で2万円も水道を使うワケがないだろう。
しかし、目の前の水道局員は、
「結構使いましたねー」
なんて笑っていやがるのだから事態は深刻だ。なにしろ笑ってる水道局員の顔は「だって2万円って書いてあるんだモンしょうがないじゃん」なんて言外に言っている。もしかしたら「キミんち、実は豆腐屋かもネ?」なんて思ってるかもしれない。
しかし、残念ながら我が家は豆腐屋ができるほど広くない。それ以上にごくごく一般的なアパートだ。豆腐屋なワケがない。
しかし、水道局員はなにを考えているのか「それじゃ、支払いよろしく」とばかりに帰ろうとするので、もはやあたしの脳はパニックである。
どうしたものか。どうしたものか。どうしたものかと必死に考えを巡らすが有効的な解決手段は考えつかず、思いつくものと言えば目の前の水道局員をどうにかするというあまり友好的でない手段ばかり。
幸か不幸か手に届く場所にはなぜか「棒のようなもの」が置いてあるのだが、そいつを振り下ろせば、見事人生を棒に振れる。たかだか2万円でその結末はまっぴらごめんなのである。
再び、どうしたものか、どうしたものかと考えを巡らせ過去の記憶を辿ったところ、数ヶ月前にあった別の水道局員からの申告を思い出した。それは我が家の水道には漏水のおそれがあるというと言うものだったのだが。
藁にもすがる思いで、そのことを目の前に立つ半笑いの水道局員に話したところ、
「では、調べてみます」
とだけ言って立ち去った。
後から水道局に確認したところ、漏水の場合は料金が減算されるコトもあるそうで、しかも数ヶ月前に漏水のおそれがあったことは確かだとのこと。
見事減算されるか否かは今後の調査次第とのことだが、次の水道局員が来るまでには、玄関先に「なぜか」置いてある棒のようなものをどこかあたしの目に付かないところへしまわなければと、そうココロに固く誓うのである。
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水道料金を納めてください。との用件だったのだが、そう言われてみてここ数ヶ月水道代引き落とし用の口座に入金するのを忘れていたことに思い当たった。
もっとも本日も相変わらずの徹夜。これから寝ようという時分だったので、
「眠いので後で来い」
と言う意味のことを丁寧に主張しようと思い、しかしいきなりそう言ってしまっては身も蓋もないので、とりあえずとして「いくらですか?」とだけ聞いてみることにした。
すると水道局の人もそんなあたしの様子を察してか「面倒はごめんです」と言わんがばかりに請求書をあたしの目の前に差しだして、
「期日までにお願いします」
と言うので、渋々その紙切れを受け取ったのだが。
そこに書いてある金額を見てあたしは腰が抜けるかと思った。だってたかだか2ヶ月分の水道代なのに2万円近いのだ。
「なんだこりゃ?うちは豆腐屋か?」
思わず頭に浮かんだ言葉がそのまま口から出てきてしまう。どんなに使ったって社会人一人暮らしが2ヶ月で2万円も水道を使うワケがないだろう。
しかし、目の前の水道局員は、
「結構使いましたねー」
なんて笑っていやがるのだから事態は深刻だ。なにしろ笑ってる水道局員の顔は「だって2万円って書いてあるんだモンしょうがないじゃん」なんて言外に言っている。もしかしたら「キミんち、実は豆腐屋かもネ?」なんて思ってるかもしれない。
しかし、残念ながら我が家は豆腐屋ができるほど広くない。それ以上にごくごく一般的なアパートだ。豆腐屋なワケがない。
しかし、水道局員はなにを考えているのか「それじゃ、支払いよろしく」とばかりに帰ろうとするので、もはやあたしの脳はパニックである。
どうしたものか。どうしたものか。どうしたものかと必死に考えを巡らすが有効的な解決手段は考えつかず、思いつくものと言えば目の前の水道局員をどうにかするというあまり友好的でない手段ばかり。
幸か不幸か手に届く場所にはなぜか「棒のようなもの」が置いてあるのだが、そいつを振り下ろせば、見事人生を棒に振れる。たかだか2万円でその結末はまっぴらごめんなのである。
再び、どうしたものか、どうしたものかと考えを巡らせ過去の記憶を辿ったところ、数ヶ月前にあった別の水道局員からの申告を思い出した。それは我が家の水道には漏水のおそれがあるというと言うものだったのだが。
藁にもすがる思いで、そのことを目の前に立つ半笑いの水道局員に話したところ、
「では、調べてみます」
とだけ言って立ち去った。
後から水道局に確認したところ、漏水の場合は料金が減算されるコトもあるそうで、しかも数ヶ月前に漏水のおそれがあったことは確かだとのこと。
見事減算されるか否かは今後の調査次第とのことだが、次の水道局員が来るまでには、玄関先に「なぜか」置いてある棒のようなものをどこかあたしの目に付かないところへしまわなければと、そうココロに固く誓うのである。
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子供向け。子供向け。
2002年1月31日OHAスタを見ている。当然徹夜だ。
最近の生活ではOHAスタ見てから寝るのがデフォルトとなりつつあり、社会から切り離された感が非常に強い。
しかもOHAスタは子供番組だ。山ちゃんが出ている。べっきーも出ている。それに子供向けタレントまで。つまり微妙に年齢の低いアイドルが出ていると言うことなのだが、ボーっとした頭でアイドルが踊る様を視聴する26才は、やはり自分に危機感とか持たなければいけないような気がする。
ところで、今日のOHAスタはどこかの会場からの中継のようだった。観客席にいるお子たちは朝っぱらからハイテンションで盛り上がっている。朝の7時だというのにあのテンションなのだから、これから日中にかけてさらにテンションはあがるだろう。だとすると、奴らの血管はきっと中学に入るか入らないかくらいの年までしか保たないのではないだろうか?つまり、あたしとしてはくも膜下出血の可能性とかを心配している。
そう思うと、会場で騒ぐお子たちに対し無性に同情の念が湧いてくる。
「かわいそうに若い身空で命を散らすとも知らずに、騒ぎやがってこのガキは…」
と言ったところだ。
ちなみに今日に限らず最近のOHAスタでは「学校ででかいのしてなにが悪いキャンペーン」なるものをやっている。もしかしたらもっと品のいい名前だったかもしれないが、そんなキャンペーンをやっている。
あたしが初めてこのキャンペーンを知ったときはちょっと目から鱗で、小学校時代の甘い思い出なんぞも甦ってきたものだし、話せば長くなるので割愛させていただくが、とにもかくにもOHAスタでは、そんなキャンペーンをやっていて、客席にいるハイテンションのお子たちに「学校ででかいのしてますかー?」なんて聞いていた。
山ちゃんがステージから大声で叫べばお子たちもそのテンションに任せて元気よく挙手する。そこへ低年齢アイドルがすかさず話を聞きに行くという番組の流れは、年端もいかない、むしろ思春期のと表現させていただくが、そんなカワイコちゃん達がレポートと称して
「でかいのしてるかなー?」
なんて口走らざるを得ない、もしくは口走ってしまう構成になっている。
子供向け番組OHAスタ。そのかなりフェティッシュな絵面は、朝の7時から我が家のブラウン管を賑わしている。
思春期の小娘が二人して、
「デカイのしてますか?」
「えー、してないよー」
「なんでー?」
「だって恥ずかしいモン」
まだまだ日本は平和だと思いつつも、そんな映像をフェティッシュだと評する自分を諫め、そして眠ることにする。
当然デカイのをしてから。
それでは、おやすみなさい。
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最近の生活ではOHAスタ見てから寝るのがデフォルトとなりつつあり、社会から切り離された感が非常に強い。
しかもOHAスタは子供番組だ。山ちゃんが出ている。べっきーも出ている。それに子供向けタレントまで。つまり微妙に年齢の低いアイドルが出ていると言うことなのだが、ボーっとした頭でアイドルが踊る様を視聴する26才は、やはり自分に危機感とか持たなければいけないような気がする。
ところで、今日のOHAスタはどこかの会場からの中継のようだった。観客席にいるお子たちは朝っぱらからハイテンションで盛り上がっている。朝の7時だというのにあのテンションなのだから、これから日中にかけてさらにテンションはあがるだろう。だとすると、奴らの血管はきっと中学に入るか入らないかくらいの年までしか保たないのではないだろうか?つまり、あたしとしてはくも膜下出血の可能性とかを心配している。
そう思うと、会場で騒ぐお子たちに対し無性に同情の念が湧いてくる。
「かわいそうに若い身空で命を散らすとも知らずに、騒ぎやがってこのガキは…」
と言ったところだ。
ちなみに今日に限らず最近のOHAスタでは「学校ででかいのしてなにが悪いキャンペーン」なるものをやっている。もしかしたらもっと品のいい名前だったかもしれないが、そんなキャンペーンをやっている。
あたしが初めてこのキャンペーンを知ったときはちょっと目から鱗で、小学校時代の甘い思い出なんぞも甦ってきたものだし、話せば長くなるので割愛させていただくが、とにもかくにもOHAスタでは、そんなキャンペーンをやっていて、客席にいるハイテンションのお子たちに「学校ででかいのしてますかー?」なんて聞いていた。
山ちゃんがステージから大声で叫べばお子たちもそのテンションに任せて元気よく挙手する。そこへ低年齢アイドルがすかさず話を聞きに行くという番組の流れは、年端もいかない、むしろ思春期のと表現させていただくが、そんなカワイコちゃん達がレポートと称して
「でかいのしてるかなー?」
なんて口走らざるを得ない、もしくは口走ってしまう構成になっている。
子供向け番組OHAスタ。そのかなりフェティッシュな絵面は、朝の7時から我が家のブラウン管を賑わしている。
思春期の小娘が二人して、
「デカイのしてますか?」
「えー、してないよー」
「なんでー?」
「だって恥ずかしいモン」
まだまだ日本は平和だと思いつつも、そんな映像をフェティッシュだと評する自分を諫め、そして眠ることにする。
当然デカイのをしてから。
それでは、おやすみなさい。
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本日は社会派
2002年1月29日大橋巨泉が電撃辞職だ。
辞職会見も開いた。もっとも本人曰く辞職願いを出した後なので辞職後会見と言うことらしいのだが、その場で語られた辞職理由は「政治不信」と「民主党への不満」と言うことだった。
彼が設けた会見の場には様々な方が止めにきていたようで、特に、そしてなぜか社民党の方々が多くいらっしゃったようだ。
大橋巨泉最後の舞台を人気取りに利用してやろうという、社民党のある意味でのハングリーさがよく発揮された会見ではなかったろうか。
彼らは、「さあ、これから話すぞ!」という大橋巨泉の真横で「やめないでクレー」と叫んだり、涙声で訴えたりと大忙しで、横光克彦などはその場に電話までかけてきたのだからその熱の入れようったらない。また彼の電話を取り次いだ男も電話の前後は涙声だったくせに、取り次ぐ瞬間だけ妙な冷静さを見せたりしていてたまらないものがあった。昨日の鈴木宗男を彷彿とさせるのである。
しかしそんな中。やはり名のある議員は、と言うか目立つ議員はひと味違うと思わされた。
かの辻本清美その人である。
彼女は周りの方々が「辞めないでー」と、ただただ「辞めないでー」と訴えていたのに対し、一つひねりを加えた訴え、
「辞めるのをやめてー」
と訴えていたのだ。
「辞めないでー」と言う叫びの中の「辞めるのをやめてー」と言う叫び。それはもうテレビを見てるこちらも混乱してくるくらいステキなセンテンスだ。
「ヤメナイデー」
「ヤメルノヤメテー」
「ヤメナイデー」
もはや辞めるのか辞めないのかもあやふやになっちゃいそうな、政治不信とか民主党でいじめられたとか、そんな大橋巨泉の訴えなんかどこかへ飛んでいっちゃうくらいのチカラを秘めた辻本清美の一言。
テレビの前で一人、そんな感心をするあたしであったのだ。
ちなみに当の大橋巨泉は議員辞職後、執筆活動に専念するとのこと。議員職に在った数ヶ月間のことを元手にいろいろ書くのだろうから、彼に票を投じた41万有権者の方々はそのご本を読んで勉強するといい。
大橋巨泉もそれを願ってるに違いないのだから。
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辞職会見も開いた。もっとも本人曰く辞職願いを出した後なので辞職後会見と言うことらしいのだが、その場で語られた辞職理由は「政治不信」と「民主党への不満」と言うことだった。
彼が設けた会見の場には様々な方が止めにきていたようで、特に、そしてなぜか社民党の方々が多くいらっしゃったようだ。
大橋巨泉最後の舞台を人気取りに利用してやろうという、社民党のある意味でのハングリーさがよく発揮された会見ではなかったろうか。
彼らは、「さあ、これから話すぞ!」という大橋巨泉の真横で「やめないでクレー」と叫んだり、涙声で訴えたりと大忙しで、横光克彦などはその場に電話までかけてきたのだからその熱の入れようったらない。また彼の電話を取り次いだ男も電話の前後は涙声だったくせに、取り次ぐ瞬間だけ妙な冷静さを見せたりしていてたまらないものがあった。昨日の鈴木宗男を彷彿とさせるのである。
しかしそんな中。やはり名のある議員は、と言うか目立つ議員はひと味違うと思わされた。
かの辻本清美その人である。
彼女は周りの方々が「辞めないでー」と、ただただ「辞めないでー」と訴えていたのに対し、一つひねりを加えた訴え、
「辞めるのをやめてー」
と訴えていたのだ。
「辞めないでー」と言う叫びの中の「辞めるのをやめてー」と言う叫び。それはもうテレビを見てるこちらも混乱してくるくらいステキなセンテンスだ。
「ヤメナイデー」
「ヤメルノヤメテー」
「ヤメナイデー」
もはや辞めるのか辞めないのかもあやふやになっちゃいそうな、政治不信とか民主党でいじめられたとか、そんな大橋巨泉の訴えなんかどこかへ飛んでいっちゃうくらいのチカラを秘めた辻本清美の一言。
テレビの前で一人、そんな感心をするあたしであったのだ。
ちなみに当の大橋巨泉は議員辞職後、執筆活動に専念するとのこと。議員職に在った数ヶ月間のことを元手にいろいろ書くのだろうから、彼に票を投じた41万有権者の方々はそのご本を読んで勉強するといい。
大橋巨泉もそれを願ってるに違いないのだから。
そんな桜井シイタさんのウェブサイトはコチラ→http://cta.wnj11.jp/sweb/
ハタヤンの魔法
2002年1月17日「このアイドルオタクめ!」
とは一年ほど前、友人のハタヤンに向かってあたしが吐いたコトバだ。今もそうだが、あまりにも
「モー娘。モー娘。」
とウルサイのでそれに辟易しての、会心の一言だったのだが言われた本人ときたら、別段ショックを受けるでも開き直るでもなく、さりとてアイドルオタクを認めるわけでもなく
「オレ、アイドルオタクじゃねーもん」
なんて言い返してきた。
うーむ。コレはどうしたことか。あたしからしてみればハタヤンの24時間はモー娘。だ。だって四六時中モー娘。の話をしていて、ことあるごとにモー娘。の良さを語って、挙げ句モー娘。のイベントにまで奮って参加してしまうのだから。ヤツのどこをどう押したらそんなセリフが出てくるのかわからない。
しかし、ハタヤンは断固として言う。
「オレはアイドルオタクじゃないモンね!」
あまりに自信ありげな態度。ヤツの現状を知っている者としてはコレはもしや夢と現の区別がつかなくなっちゃったのでは?とか、客観的な視点とかなくしちゃったのでは?など、いろいろと考えてしまう。が、当の本人ときたら、
「何しろオレには確固たる根拠があるモンね」
と言うのである。むむむむ、その理由。気にはならないが一部気になる。正確にはそう言い切ってしまうオマエに不安になる。そこでと言うか、しょうがないのでと言うか、好奇心に負けたあたしは、
「じゃー、なんだよ?」
なんて聞いてしまった。そうするとハタヤンはこう言ったのだ。
「だってオレ、AV女優とかも好きだもんよ」
ふむー。思わず鼻から大量の呼気を放ってしまった。なるほどなるほど。コレは納得せざるをえまい。だってAV女優は女優だモンよ。
当然ながらハタヤンも同じコトを言っていた。AV女優は女優なので女優好きのあたしはアイドルオタクではない。と。そう断言していた。
胸を張って言い切るハタヤンの姿は、それはそれはカッコイイものだった。以来あたしもハタヤンを「アイドルオタク」だなんて言うのはやめにしたのだが、今冷静に考えてみれば、ハタヤンよ。
それってつまり「AV好きのアイドルオタク」ってコトじゃねぇのか?
本日は大したこともない一日だったが、そんなわけで一年越しに解けたコトバの魔術に敬意を表しながら、改めてハタヤンに電話。ヤツを
「このアイドルオタクめ!」
となじってやった次第なのだ。
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とは一年ほど前、友人のハタヤンに向かってあたしが吐いたコトバだ。今もそうだが、あまりにも
「モー娘。モー娘。」
とウルサイのでそれに辟易しての、会心の一言だったのだが言われた本人ときたら、別段ショックを受けるでも開き直るでもなく、さりとてアイドルオタクを認めるわけでもなく
「オレ、アイドルオタクじゃねーもん」
なんて言い返してきた。
うーむ。コレはどうしたことか。あたしからしてみればハタヤンの24時間はモー娘。だ。だって四六時中モー娘。の話をしていて、ことあるごとにモー娘。の良さを語って、挙げ句モー娘。のイベントにまで奮って参加してしまうのだから。ヤツのどこをどう押したらそんなセリフが出てくるのかわからない。
しかし、ハタヤンは断固として言う。
「オレはアイドルオタクじゃないモンね!」
あまりに自信ありげな態度。ヤツの現状を知っている者としてはコレはもしや夢と現の区別がつかなくなっちゃったのでは?とか、客観的な視点とかなくしちゃったのでは?など、いろいろと考えてしまう。が、当の本人ときたら、
「何しろオレには確固たる根拠があるモンね」
と言うのである。むむむむ、その理由。気にはならないが一部気になる。正確にはそう言い切ってしまうオマエに不安になる。そこでと言うか、しょうがないのでと言うか、好奇心に負けたあたしは、
「じゃー、なんだよ?」
なんて聞いてしまった。そうするとハタヤンはこう言ったのだ。
「だってオレ、AV女優とかも好きだもんよ」
ふむー。思わず鼻から大量の呼気を放ってしまった。なるほどなるほど。コレは納得せざるをえまい。だってAV女優は女優だモンよ。
当然ながらハタヤンも同じコトを言っていた。AV女優は女優なので女優好きのあたしはアイドルオタクではない。と。そう断言していた。
胸を張って言い切るハタヤンの姿は、それはそれはカッコイイものだった。以来あたしもハタヤンを「アイドルオタク」だなんて言うのはやめにしたのだが、今冷静に考えてみれば、ハタヤンよ。
それってつまり「AV好きのアイドルオタク」ってコトじゃねぇのか?
本日は大したこともない一日だったが、そんなわけで一年越しに解けたコトバの魔術に敬意を表しながら、改めてハタヤンに電話。ヤツを
「このアイドルオタクめ!」
となじってやった次第なのだ。
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警鐘を鳴らせ!
2002年1月10日先日、友人Aが電話してきた。
なにやら得意げに受話器の向こうで日本経済に対して警鐘を鳴らしていた。「あぶねーんだって。あぶねーんだって」と連呼して、読んできた本の知識をひけらかす。でも、いつまで聞いてもいまいち要領をえないので、実際どの辺があぶねーのかてんでわからない。そうかといって、
「どこがアブねーんだよ」
なんて聞こうものなら一発でバカ扱いなので、あたしも一緒になって「あぶねーあぶねー」と言っていた。「日本経済はアブねーんだよ」と言っていた。
ところでごくごく最近、経済学の得意な人と友達になった。目下大学院で経済の勉強中。論文とかをバリバリ書いちゃうんだ。そう本人は言っていたのでたぶんかなりとにかく経済に詳しいに違いない。
あたしとしてもそんな友人が増えるのはやぶさかではない。しかもかなりタイムリーだ。なので早速、そのバリバリ経済学な彼に日本経済はどうして危ないかという話を聞いてみた。
するとさすがは大学院で論文である。彼の口からはまるで脊髄反射かと見まごうばかりの速やかさでするすると日本の危機が出てくる。しばらく聞いていたらちょっとだけ暗い気持ちになった。
しかし、たいへん経済に詳しくなった気がして、気持ちもかなり大きくなったので早速友人Aに電話した。当然ヤツに知識をひけらかし、さらに尊敬させようと考えたからなのだが、なぜかあたしの口から出てくる言葉は、
「日本経済はヤバいんだって。日本経済はヤバいんだって」
とそんなことばかり。友人Aも受話器の向こうで、
「そーだぜ、ヤバいんだぜ。かなりヤバいんだぜ」
そう繰り返すので、またも二人して日本経済に警鐘を鳴らして受話器を置いた。日本経済はかなりヤバイ。それは確かなことなのだが、果たして。
あたし達の語彙力とか記憶力もかなりヤバイようなのだ。
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なにやら得意げに受話器の向こうで日本経済に対して警鐘を鳴らしていた。「あぶねーんだって。あぶねーんだって」と連呼して、読んできた本の知識をひけらかす。でも、いつまで聞いてもいまいち要領をえないので、実際どの辺があぶねーのかてんでわからない。そうかといって、
「どこがアブねーんだよ」
なんて聞こうものなら一発でバカ扱いなので、あたしも一緒になって「あぶねーあぶねー」と言っていた。「日本経済はアブねーんだよ」と言っていた。
ところでごくごく最近、経済学の得意な人と友達になった。目下大学院で経済の勉強中。論文とかをバリバリ書いちゃうんだ。そう本人は言っていたのでたぶんかなりとにかく経済に詳しいに違いない。
あたしとしてもそんな友人が増えるのはやぶさかではない。しかもかなりタイムリーだ。なので早速、そのバリバリ経済学な彼に日本経済はどうして危ないかという話を聞いてみた。
するとさすがは大学院で論文である。彼の口からはまるで脊髄反射かと見まごうばかりの速やかさでするすると日本の危機が出てくる。しばらく聞いていたらちょっとだけ暗い気持ちになった。
しかし、たいへん経済に詳しくなった気がして、気持ちもかなり大きくなったので早速友人Aに電話した。当然ヤツに知識をひけらかし、さらに尊敬させようと考えたからなのだが、なぜかあたしの口から出てくる言葉は、
「日本経済はヤバいんだって。日本経済はヤバいんだって」
とそんなことばかり。友人Aも受話器の向こうで、
「そーだぜ、ヤバいんだぜ。かなりヤバいんだぜ」
そう繰り返すので、またも二人して日本経済に警鐘を鳴らして受話器を置いた。日本経済はかなりヤバイ。それは確かなことなのだが、果たして。
あたし達の語彙力とか記憶力もかなりヤバイようなのだ。
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歯医者 その3
2002年1月9日洗濯機のことを考えていた。
時に二層式だったり、時に全自動だったり、最近だと乾燥までやってしまう彼のことだ。洗剤入れてグルグル回す、ただそれだけで衣類はピカピカのシワシワ。パンツもTシャツも中にはクツやカツラ、キーボードまでピカピカにしてる働き者もいる。風邪のウワサやTVCMでは洗剤いらずやシワシワにならないヤツまでいると聞く。
とにかくそんな洗濯機さんだが、その名の通り洗濯するための機械だ。選択するための機会じゃない。チョイスのチャンスではなくウォッシャブルマシーン洗濯機。
そんな彼がばびんと世に出てから数十年。その進歩の速度はすさまじいモノだ。ハツカネズミさえしっぽを巻いて逃げ出すに違いない。それほどの速度。その進歩の影で、ハツカネズミが大量に逃げ出すその横で、実はもうひとりふたりこそりと逃げだそうとしているヤツがいた。
そいつらの名は脱水と乾燥。正確には「脱水」「乾燥」という言葉。何しろ洗濯機のこれほどまでの進歩。きっと奴らにも予想はつかなかっただろうに。あたし達が無遠慮に「洗濯、洗濯」と言うその言葉の中にチラチラとちらつく洗濯機の影。洗濯=洗濯機。洗濯は洗濯機でするモノなのだから、それは仕方ないとしても、しかし。
こうまで洗濯機がイロイロできるようになってしまっては、洗濯という言葉の持つ洗濯的作業内容は、今まさに脱水と乾燥を内包したのだ。
ヤツラはオロオロしてるに違いない。
「オレらは洗濯じゃねぇんだ。脱水なんだ!乾燥なんだ!」
そういって自己のアイデンティティを保つのにきっと躍起になっている。
これは「洗濯」にとっても人ごとではなかった。これだけ洗濯機が台頭してきてしまっては、きっと洗濯の意味すら改竄されてしまう。もしかしたら!?という危機感が「洗濯」にも訪れている。
そして、それは渦中の洗濯機の言葉によってよりリアルなモノになるのだ。
「おまえ達なんてまとめて洗濯機だ。そのうちみんな『さぁ、洗濯機でもするかなー』と言うようになるに違いないのだ!」と。
時代はもはや洗濯機の天下。彼は自身が持つに至った意味の深さや目の前で必死にプライドにすがりつこうとする言葉達を見ながら我が世の春を感じているのだろう。いやそうに違いないのだ。
そんな洗濯機のことを一生懸命考えていた。
つまり現実逃避の一環として、ギュリギュリと歯を削られる現実からの逃避の一環として洗濯機のことを思ったりしていたとあたしは言っているのだが。
だって、グルグル回る円筒形の物体はただのレントゲンだったし、先生の胸だって我を失うほど大きくはなかったんだもの。
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時に二層式だったり、時に全自動だったり、最近だと乾燥までやってしまう彼のことだ。洗剤入れてグルグル回す、ただそれだけで衣類はピカピカのシワシワ。パンツもTシャツも中にはクツやカツラ、キーボードまでピカピカにしてる働き者もいる。風邪のウワサやTVCMでは洗剤いらずやシワシワにならないヤツまでいると聞く。
とにかくそんな洗濯機さんだが、その名の通り洗濯するための機械だ。選択するための機会じゃない。チョイスのチャンスではなくウォッシャブルマシーン洗濯機。
そんな彼がばびんと世に出てから数十年。その進歩の速度はすさまじいモノだ。ハツカネズミさえしっぽを巻いて逃げ出すに違いない。それほどの速度。その進歩の影で、ハツカネズミが大量に逃げ出すその横で、実はもうひとりふたりこそりと逃げだそうとしているヤツがいた。
そいつらの名は脱水と乾燥。正確には「脱水」「乾燥」という言葉。何しろ洗濯機のこれほどまでの進歩。きっと奴らにも予想はつかなかっただろうに。あたし達が無遠慮に「洗濯、洗濯」と言うその言葉の中にチラチラとちらつく洗濯機の影。洗濯=洗濯機。洗濯は洗濯機でするモノなのだから、それは仕方ないとしても、しかし。
こうまで洗濯機がイロイロできるようになってしまっては、洗濯という言葉の持つ洗濯的作業内容は、今まさに脱水と乾燥を内包したのだ。
ヤツラはオロオロしてるに違いない。
「オレらは洗濯じゃねぇんだ。脱水なんだ!乾燥なんだ!」
そういって自己のアイデンティティを保つのにきっと躍起になっている。
これは「洗濯」にとっても人ごとではなかった。これだけ洗濯機が台頭してきてしまっては、きっと洗濯の意味すら改竄されてしまう。もしかしたら!?という危機感が「洗濯」にも訪れている。
そして、それは渦中の洗濯機の言葉によってよりリアルなモノになるのだ。
「おまえ達なんてまとめて洗濯機だ。そのうちみんな『さぁ、洗濯機でもするかなー』と言うようになるに違いないのだ!」と。
時代はもはや洗濯機の天下。彼は自身が持つに至った意味の深さや目の前で必死にプライドにすがりつこうとする言葉達を見ながら我が世の春を感じているのだろう。いやそうに違いないのだ。
そんな洗濯機のことを一生懸命考えていた。
つまり現実逃避の一環として、ギュリギュリと歯を削られる現実からの逃避の一環として洗濯機のことを思ったりしていたとあたしは言っているのだが。
だって、グルグル回る円筒形の物体はただのレントゲンだったし、先生の胸だって我を失うほど大きくはなかったんだもの。
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謹賀新年
2002年1月7日正月は寝正月では無かったが、弛みっぱなしであったことをココに告白します。
みなさま、あけましておめでとうございます。あたくし桜井シイタ、見事2002年を迎え、見事26歳になってみせました。お祝いとかは要求しません。ただ「あたくし桜井25歳は…」なんて言えなくなったのはちょっと寂しく思ったりして、意外と25歳というモノに依存していのだなぁと今更ながらに感心しきりです。
また、その事実に気付いたことにより一つ成長したと思われます。いや、しました。ウレシイことではないですか。
きっと来年は27歳になって「あたくし桜井26歳は…」って言えなくなったことに寂寥感を覚えるのだと思います。
そうやって一年ごとに成長していく自分をステキだなと思いつつ、今回は新年の挨拶も含め丁寧語でお送りしました。
次回からはまた無礼千万に。
尚、年末にさんざん大騒ぎしていた歯医者は年始が休みだったので、感動も新たに明日行ってまいります。
おかしなコトされたら、それ見たことかとココに書きつづりますので、おかしなコトされるよう期待でもしててください。
そんな桜井シイタさんのウェブサイトはコチラ→http://cta.wnj11.jp/sweb/
みなさま、あけましておめでとうございます。あたくし桜井シイタ、見事2002年を迎え、見事26歳になってみせました。お祝いとかは要求しません。ただ「あたくし桜井25歳は…」なんて言えなくなったのはちょっと寂しく思ったりして、意外と25歳というモノに依存していのだなぁと今更ながらに感心しきりです。
また、その事実に気付いたことにより一つ成長したと思われます。いや、しました。ウレシイことではないですか。
きっと来年は27歳になって「あたくし桜井26歳は…」って言えなくなったことに寂寥感を覚えるのだと思います。
そうやって一年ごとに成長していく自分をステキだなと思いつつ、今回は新年の挨拶も含め丁寧語でお送りしました。
次回からはまた無礼千万に。
尚、年末にさんざん大騒ぎしていた歯医者は年始が休みだったので、感動も新たに明日行ってまいります。
おかしなコトされたら、それ見たことかとココに書きつづりますので、おかしなコトされるよう期待でもしててください。
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歯医者 その2
2001年12月29日前回の続きだ。
いやさ、前回の続きさ。そのようにさわやかに始めたい。なにしろ書くことと言えば「歯医者がコワイ、キライ、シンジラレナイ」。だので少しでもさわやかにかろやかにしなやかに、そういう心意気と口調で話を続けたいのさ。
しかし残念ながら、そんな軽妙な口調でも先ほどからあたしの顔の周りを回っている薄肌色の筒状物体の説明は付かない。なんで自分がココにいるのかも。
思い出せば十数分前。あたしは年末なのに特に予約とか必要ではない、特に予約でいっぱいとかでもない歯医者に入った。そしてわずか数分の後、わずか数分あたしの口をのぞき込んだお医者さまに、ちなみにあたしと同い年くらいの女医さんだが、何はともあれとそんな部屋に通された。
人の頭くらいの大きさのへんてこな薄肌色の筒状物体が二つくっついた椅子と顎をのせる台の付いた変な機械のある部屋だ。
あたしが顎をのせるとお医者が、ちなみにあたしと同い年くらいで胸も大きそうな女医さんだが、彼女が変なスイッチを押して筒状物体がくるくると回り出す。歯医者に来たハズなのに。
状況は混迷を極め、ズキズキと痛む歯とドキドキと高鳴る胸とグルグル回る筒状物体。
どうも三役揃い踏みの、ズキズキとドキドキとグルグルのそんな最中におかれたあたしは、コワイもキライもシンジラレナイもどっかに飛んでいってしまって、もうどうにでもしてのまな板の鯉状態で、来るべき女医さんの胸ばかり気にしていた。
歯医者に来たハズなのに。もう自分がなんだか判らなくなっていたのだ。
つづく。
いやさ、前回の続きさ。そのようにさわやかに始めたい。なにしろ書くことと言えば「歯医者がコワイ、キライ、シンジラレナイ」。だので少しでもさわやかにかろやかにしなやかに、そういう心意気と口調で話を続けたいのさ。
しかし残念ながら、そんな軽妙な口調でも先ほどからあたしの顔の周りを回っている薄肌色の筒状物体の説明は付かない。なんで自分がココにいるのかも。
思い出せば十数分前。あたしは年末なのに特に予約とか必要ではない、特に予約でいっぱいとかでもない歯医者に入った。そしてわずか数分の後、わずか数分あたしの口をのぞき込んだお医者さまに、ちなみにあたしと同い年くらいの女医さんだが、何はともあれとそんな部屋に通された。
人の頭くらいの大きさのへんてこな薄肌色の筒状物体が二つくっついた椅子と顎をのせる台の付いた変な機械のある部屋だ。
あたしが顎をのせるとお医者が、ちなみにあたしと同い年くらいで胸も大きそうな女医さんだが、彼女が変なスイッチを押して筒状物体がくるくると回り出す。歯医者に来たハズなのに。
状況は混迷を極め、ズキズキと痛む歯とドキドキと高鳴る胸とグルグル回る筒状物体。
どうも三役揃い踏みの、ズキズキとドキドキとグルグルのそんな最中におかれたあたしは、コワイもキライもシンジラレナイもどっかに飛んでいってしまって、もうどうにでもしてのまな板の鯉状態で、来るべき女医さんの胸ばかり気にしていた。
歯医者に来たハズなのに。もう自分がなんだか判らなくなっていたのだ。
つづく。